1998/06/13/(土)
Crazy
バーバラさんの口からよく出る言葉に「Crazy」と「Stupid」がある。(fucking系の言葉はまだ聞いていない)この種の言葉は日本だと「自主規制」に該當する。中國語だと「神經病」に相當するだろう。中國ではこの「神經病」をよく聞いた。「おい、おい、いいのかな?」という感じもある。しかし、言葉を自主規制するのはやはり言語の本質からはずれていると思う。言語とは「對象ー認識ー表現」という過程的構造を持つものである。言語に不可欠なのは「ひと」の存在であり、核となるのは「認識」である。表に現れる「形式」、つまり音聲や文字だけを見ても言語の本質をつかんだことにはならないのだ。最近、「飜譯とは何か」を考えているが、彼の國の語彙と此の國の語彙の單なる置き換えでは飜譯とは言えない。その背景にあるもの、すなわち「文化」「思想」という目に見えないもの(=認識=感性的なもの)を如何に飜譯するかなのだ。「言語はそもそも差別語である」とは三浦つとむの言葉である。言語は「彼のもの」と「此のもの」を「差別」するためにある。それが言語の目的の一つである。このように言語を考えた場合、單なる語彙の置き換えでは「差別」は解消されないことは明かである。問題はその背景にある「認識」なのだ。私の國ではそれを「言葉狩り」や「自主規制」にすりかえてしまっている。「Crazy」だけを取り出して議論しても何の解決にもなり得ない。それが、どういう文脈で、それを使う人がどういう認識をもって發話しているかが問われるべきなのだ。「人の世に熱あれ、人間に光あれ」というこの言葉を學生時代に讀んだとき、全身が凍りつくような衝撃を受けたことを今でもよく覺えている。この「魂の叫び」とも言うべき崇高な表現は、その發話者の、過去の虐げられた歴史や文化、思想、つまりその發話者の認識を追體驗してこそ初めて理解が可能なのである。
【午前】
今日はさんざんな1日だった。先ず、午前3時半頃に突然の侵入者。この家の猫である。ようやく眠りに入ったところなのに、この野郎!という感じである。でも、折角起こされたのだからと、メールの點檢をして再度眠りに就く。9時起床。寢覺めの1本。ここでまた大失態。マッチで指に點火。これは熱い。すぐに水で冷やしたが、水泡が出來た。バーバラさんに藥をもらう。今朝は雨だ。仕方なく12時頃まで部屋で休む。お晝を食べにPorter Squareへ。今日は寿司を食べた。ネタはまあまあ。ただ、ご飯が駄目。芯がある(福井ではこれを「めっこ」と言う)。
【午後】
午後から雨が益々激しくなる。雷も鳴り出した。早々と歸宅。マス・アベニューはまるで川みたいに水が流れている。アメリカって、排水が惡いのではないかと思う。さて、家に歸って暫くすると、バーバラさんが下の部屋でわめいている。何事かと思えば、地下室が水浸し。これが本當の「床下浸水」と言うのだろうか?下の部屋の學生の部屋はもう大變だ。ポンプで水を出していたが、乾くまでに随分時間がかかりそうだ。こんな日もあるのだ。
ニュースではボストン市内のあちこちで浸水騷ぎ。それほど大した雨でないのに、「なんでこうなるの」。来週はずっと雨の予報だが、この調子ではボストンは全體が水に浸かってしまうぞ。雨の備えが出來ていないのだ。
【夜】
メールチェック。
ホームページの更新、その他
【今日の食事】
朝食:トースト、コーヒ、ジュース
晝食:寿司、みそ汁($14.00)
夕食:ホットドッグ、コーン、コーヒ
3/28-5/31にしたこと
- 「イソップ中國語飜譯小史」(仮題)初稿(約32,000字)
今日コピー(全巻)したもの
- なし
パソコン關係
- 今日は東京の友人から送ってもらったPalm PilotJ-OS2.0proをインストール。PalmIIIでもUpdaterで一應使えるとのこと。Palmはこれが實は2代目である。初代のPalm Proは1ヶ月も使っただろうか。Newtonも同じ様なもの。ペン入力は私には本來合わないのは承知しており、HP200LXを離せないでいるのだが、ワイシャツのポケットに入るサイズのPDAが必要なもので、こちらで入手したわけ。
【アメリカでの連絡先】
Keiichi Uhcida
C/O Mrs.Barbara
27Daniels St,Arlington,MA 02174,USA
or
Keiichi Uchida
Department of Asian Languages and Civilizations
2 Divinity Avenue,Cambridge,MA 02138,USA