1998/06/29/(月)

きのう/ きょう /あした


「語學屋」
今日は別の話を書こうと思ってたのだが、さっき京都外大で教えた學生からのメールを讀んで急遽この話題に變更。
今、就職戰線も眞っ盛り(もう終盤か?)で、その學生もいくつか廻っているそうだが、未だ内定はもらえていない模樣。中國語はもちろん、英語もよく出來るし、人柄も申し分ない學生だが、企業側は「『語學屋』じゃなくてビジネスができる人間が欲しい」と言うそうだ。「語學屋」という言葉には些か抵抗があるが、一面では當たっている。いわゆる單に言葉が出來るだけの學生はいらないというわけである。本當は「語學屋」にすらなれない場合が多いのであるが、最近特に、外國語教育において「コミュニカティブアプローチ」とか「實用的運用能力の習得」という面が強調され過ぎていることの悪弊である。しかし「言葉の習得」とは實はそれだけではないことを外國語關係者は知るべしである。「言葉の習得」というのは單に語彙や文法を覺え、コミュニケーションが出來るようになるだけでは不充分なのである。それは最低限のことであり、外國語教育のほんの半分でしかない。そもそも、そこには「言語とは何か」という本質的な論議がが欠けているし、「言語とは人の表現の一つである」という基本的な考え方すら見えていない。「教養か專門か」に代表されるような「あれかこれか」の二者択一的な考え方が、外國語教育にも蔓延しているようだ。どうして「あれもこれも」という考え方が出來ないのだろう。また「語學屋」という言葉は「語學とは何か」を全く理解できていない人々の言葉である。時枝誠記は昔「語學の樂しみはスペキュレーションにある」(「國語學への道」)と言ったが、「語學」と言うのは、本來そういうものなのだ。歴史や思想、文化をその背景にした総合的な科學であって、推理小説を讀むが如く言葉の「謎解き」の學問である。文法などは元來樂しいものである。それを「砂を噛むように味氣ない」ものと感じさせてしまうのは、ひとえに教える側の責任である。「名詞」や「動詞」がどうの、「介詞構造」がどうのと、術語ばかりを竝べ立てて暗記させるだけでは學生は嫌氣がさすのも當然だ。日本では中學の文法の時間からこうだから手に負えない。教える側が「これでもか、これでもか」と嫌いにさせているのである。小學や中學の國語の時間にせめて三浦つとむの「こころとことば」ぐらい讀ませれば、もっと文法をやりたいという子供も出てくるはずなのに。
私が言葉や文法に興味を持ったのは高校の時である。今と同じで、何かをやり出すと止まらなくて、源氏や枕草子、徒然草といった日本の古典を片っ端から讀み漁っていった。ただ、内容を鑑賞するというよりは、その言葉の分析に興味を覺えた。品詞分類をしながら、參考書によって、時枝ではどうとか、橋本文法ではどうとか違う解釋があるのを不思議に感じたものだ。擔任に聞くと「そんなのは受驗勉強に關係ない」と一蹴されたが、大學に入り國語學概論などを聞いてその譯が分かった。同じく漢文も好きで、十八史略や古文眞寶とかの副讀本を買って來て、白文で讀む練習をしていた。つまり高校時代は國語ばかりやっていた。今、中國語をやっているのは全くの偶然(第2外國語で履修した)であるが、でもどこかにその頃の影響が殘っているのかも知れない。

【午前】

午前中、先ず銀行に寄ってみる。本當は午後3時以降に來るように言われていたのだが、ものは試しと聞いてみる。「土曜にキャッシュカードを取り忘れたのですが、ありませんでしたか」「日本の銀行カードじゃない」「はい、Bank of Sumitomoです」「ある。下の事務室へ行って受け取りなさい」やった!やはり吸い込まれていたのだ。何でも20秒ぐらいそのままにしておくと、自動的に吸い込むようになっているそうだ。助かった。受け取りは非常に簡単。サインをしてOK。ただ、再使用の願いは日本でしないといけないので、家族に電話。これで一件落着。ついでに、Newtonの代金を「certified check」で支払うことになっているので、その手續き。その後、更に隣のHarvard International Centerへ行って、9月のヨーロッパからの再入國のためにIAP-66のサインをもらう。これで午前中の仕事はおしまい。早めの晝食を燕京レストランで。

【午後】

晝食後サイエンスセンターに行き、家からでは何度やっても接續出來ない臺灣のサイトにアクセスしてみる。一發でつながる。さすが專用線の威力。さくさくと動く。NewtonのCLK關係ファイルをここからダウン。使用方法等についてのマニュアルもここで印刷。JLKの方は日本のサイトにあるので家からでも接續がしやすく、既にダウンしてある。あとは本體の到着を待つばかり。今日NewYorkで發送したというメールがあったから明日か明後日には屆くだろう。暫くはインストール等で大變だ。その後はYenchingへ。J.A.Goncalvesのものがハーバードにはほぼ揃っているのだが、そのほとんどがHoughtonの貴重書。ただ、面白いことに「Arte China(漢字文法)」(1829)がYenchingの一般書の中にある。そのうち沈さんの目にとまった日には燕京圖書館貴重書室入りだろう。それまでにコピーしないといけないので、とりあえず借り出してしまう。時々こういうことがあるのだ。私の目から見れば貴重書ではないものも貴重書に入っているし、その逆もある。その時の司書に依るのだろう。ただ今日は係りの人も一度は「これ1829年だから、どうなのかな」と言って別の係りに「これ大丈夫」と聞いていた。「まずいな」と思ったが、別の係りが「貴重書ならRかTが入ってるから、これは普通の本。問題なし」と言ってくれたので大助かり。Goncalvesの漢洋、洋漢字典は東西研にマイクロがあるので、ここではコピーの必要はないが、他に3冊ほど是非コピーかマイクロに撮りたいものがある。これは、いずれHoughtonで申し込むつもり。しかし、次から次へといい本が出てきて切りがない。きっと、大英圖書館やパリ國立圖書館などに行くともっと出てきそうだ。生活費を切りつめて、そちらに廻そうと考えている。

【夜】

メールチェック。
ホームページの更新、その他

【今日の食事】

朝食:トースト、ジュース、コーヒ
晝食:燕京ランチスペシャル
夕食:ホットドッグ、ビーン、コーヒ
今日は孫娘の旦那が來て作ってくれたのだが、案の定簡単な夕食になってしまった。幸いお晝をしっかり食べておいたからいいのだが・・。


3/28-5/31にしたこと

  • 「イソップ中國語飜譯小史」(仮題)初稿(約32,000字)

今日コピー(全巻)したもの

  • なし

パソコン關係

  • Newtonの日中環境構築のためのソフトはほぼ準備完了。後は本體のみ。

【アメリカでの連絡先】

Keiichi Uhcida
C/O Mrs.Barbara
27Daniels St,Arlington,MA 02174,USA

or

Keiichi Uchida
Department of Asian Languages and Civilizations
2 Divinity Avenue,Cambridge,MA 02138,USA


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