1998/09/22/(火)

中断前の日記(7月最終分)へ


きのう/きょう/あした


「日米(中)関係」or「(日)米中関係」?

今日は夕方、「Program on U.S.-Japan Relations」と「Edwin O.Reischauer Institute of Japanese Studies」主催のレセプションが開かれた。參加しようかどうしようか迷っていたが、折角の招待だからと出かけていった。9月に入って、これで3回目のレセプションであるが、これまでの2回(燕京学社と東アジア言語文明学科主催のもの)は、至っておおざっぱなもので、気楽なものだったので、今回もそのつもりで行ったら、どこか様子が違う。ほとんどが、ネクタイ、背広姿なのだ。これには些か面食らってしまった。上はブレザーを着てはいたが、ノーネクタイでしかも下はジーパンだったから。まあ、向こうの人の中にも何人かは、もっとラフな格好の人もいたから、少しは救われた。
ボーゲル氏の挨拶や、センターの責任者の挨拶、それに駐米ボストン総領事の挨拶もあり、極めて「フォーマル」なレセプションだった。この席で何人かの人と話をしたが、某新聞社の人との話は面白かった。彼も、この日米関係問題プロジェクトのメンバー(このメンバーには日本側からは銀行や企業からの人がかなり大勢いるようである)だったが、「日米関係」と言っても、実際のところは「対中国関係」を無視できない、そういう時代だということを強調していた。恐らくは、このメンバーには中国側からの參加もあるはずである。つまり、「日米関係」と言いながら、本質は「米中関係」であり、日本の位置というのは、その程度なのだと実感した。領事が「日本の経済は新しい首相の下で、上向きに、以前のような状態に回復するでしょう」と言ったところで、失笑を買うだけなのだ。中国での日本語学習熱の低下はそれを象徴している。中国を抜きには世界を語れないという現状において、さて日本はどうなるのか。
ところで、今年度は日本の大学における中国語履修者の数が減少傾向にあるという。これまでが「異常」であって、「正常」に戻りつつあるという見方も一方ではあるだろう。しかし、どこか時代に逆行しているようにも思える。ましてや、某大学の某学部のように「中国語の履修者が50%を超えるのは好ましくない。中国語を履修するのはいいが、その学生にはドイツ語、フランス語を必須として課すべきだ」などという主張は「時代錯誤」も甚だしいものである。中国語だけ履修すればよいとは決して言わないし、外国語は出来るだけ沢山出来る方がよい。しかし、いずれも学生の主体性に任せるべきであって、どの言語を必須にするとかいった「強制」するものではないと考える。「選択」というのは、そういうものなのである。

【午前】【午後】

今日は久しぶりの雨。雨の日はどうも調子が出ない。レセプションまで一応、燕京で調べものなどしたが、こんな日は歌でも歌っていたほうがよい。
雨が空から降れば、思い出は地面にしみこむ。
雨が空から降れば、思い出もしとしと滲む。
あの町も雨の中、この町も雨の中。
しようがない、雨の日はしようがない。
公園のベンチで一人・・・・
レセプションから帰ったのが7時過ぎ。バーバラさんは夕食を準備していてくれた。感謝。

【夜】

メールチェック。他。

【今日の食事】

朝食:コーンフレイク、トースト、ジュース、コーヒ
晝食:燕京定食
夕食:カリフラワーのクリーム煮、ビーフかつ、サラダ、パン、コーヒ


3/28-5/31にしたこと

  • 「イソップ中國語飜譯小史」(仮題)初稿(約32,000字)

6/1-7/10

  • 「イソップ中国語訳の系譜」(約40,000字)

今日コピーしたもの(マイクロを含む)

  • なし

パソコン關係

  • 特になし。

【アメリカでの連絡先】

Keiichi Uhcida
C/O Mrs.Barbara Marchese
27Daniels St,Arlington,MA 02174,USA

or

Keiichi Uchida
Department of Asian Languages and Civilizations
2 Divinity Avenue,Cambridge,MA 02138,USA


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