1998/10/12(月)
「ミイラ」と「ピーマン」-英語は正しく学びましょう
いつも学生には「辞書を丹念に引くように」と言っているのだが、まったくその通りだ。今日は恥ずかしい私の失敗談を一つ。
バーバラさんと話していると、いつも「Kenの英語の発音が悪い」「英語をもっと勉強しろ」と言われているが、この間もそうだった。台湾の学生がボストン美術館に行った話をしている時に、「ミイラ」の話になった。さて、この「ミイラ」を英語でどう言うか知らなかったもので、例の如く、「何でも言ってみるもの」で、「ミイラ」とそのまま言ったのだ。当然「Mirror ?」と変な顔をされる。果ては「Dried man」とかもう「はちゃめちゃ」。「古代エジプトとかで墓の中にあるもの」とか説明してようやくわかってもらえたが、それからバーバラさん、事ある毎に他人に「Kenの英語はvery bad.ミイラだって!」とからかわれている。自分の部屋に戻って辞書を引けばすぐに解決することなのだが、それを怠った代償は大きい。
「ピーマン」も同様だ。ピーマンを「pepper」と言うのは知っていたが、私の感覚では「pepper」は「胡椒」なのだ。で、これは「ピーマン」とは言わないのかということで、またまた「not call ピーマン?」とやったから、もう大騒ぎ。結局「pimento」と言うことがわかったが、これも辞書を引けば問題はなかったのだ。ピーマンは「pimento」から来ていることは間違いないと思うが、これでバーバラさんから再び「話のネタ」にされることになった。
馬鹿な話を書いたが、よく考えると、こういうことを、ひょっとしたら結構多くの人がやっているのではないかと思うのである。中国語でも同じである。日本人は中国語に対して「発音は違うが、漢字は同じで、筆談すればわかる」と考えたりする。実際はとんでもない誤解なのだが、結構そういう認識をまだ持っているのである。「中国語は外国語である」という、この基本的なことをまだわかってはいない。外国語は正しい発音で、きちんと辞書を引きながら学んでいかないといけないのだ。特に、発音は大切である。日本語にはカナによる外来語が非常に多く入り込んでおり、そのことが英語圏では意外と威力を発揮することもあるのだが、しかし、その長所を生かすには正しい発音である。
私は中国語の発音もそんなに良くはないが、それでも、学生時代よりは幾らか良くなったと自分では思っている。大学院に入って、当時助手をされていた佐藤さんの発音を聞いた時、「何だこれは!こんな綺麗な発音をする人がいるのか?」と驚いた。佐藤さんからは、その頃いつも、今のバーバラさんみたいに「何だ!内田、その発音は。なっとらん!」と叱られていた。その上、時々中国語で話しかけられても、それがなかなか聞き取れないのだ。1年くらいは、佐藤さんの前で中国語を発するのが恐くてしようがなかった。また、1つ上の先輩に、これまた荒川さんという人がいたから、ますます中国語を話すのに勇気がいった。でも、そういう人達と読書会をしていくうちに、「その日は突然やって来た」。それは全く「突然」と言ってもいいが、ある時から「急に目の前が明るくなる」のを感じたのだ。「壁がとっぱらわられた」ように、何故だかわからないが、相手の言う中国語が「すうすう」と耳に入ってくるのである。この喜びを学生諸君にも味わって欲しいと思う。それには、教える側もへたな「妥協」は禁物である。私が今、些かなりとも中国語が聞けたり、話せるようになったのも、その当時の先輩達の嚴しい指導のお陰だと思っている。
【午前】【午後】
今日はコロンブスデーで、大学はお休み。昨日の紅葉狩りの疲れが若干残っているが、それでも朝8時過ぎに起床。いつもより遅めに家を出て、ハーバードスクエアーの時計店で修理済みの時計を受け取り、先ずダウンタウンへ。昨日、車の中でダウンタウンにアメリカでも有名なディスカウントショップがあるということを聞いていたので、そこをのぞいてみる。「Filene’s Basement」というのだが、地上4階は普通のデパートで、地下の1,2階がディスカウントフロアとなっている。確かに凄い規模で、毎日バーゲン、しかもその値段が日毎に安くなると言う。最初は25%OFF、次の週が50%OFF、その次が75%OFFというように。大勢の人が買い物をしていたが、私の興味を引くものはなし。近くのチャイナタウンの「銀座」で、久しぶりの「そば定食」。そばと押し寿司が8個つく。結構おいしいのだ。
午後、燕京図書館へ。大学の授業は休みでも、図書館は開いている。沈さんに頼まれた「王韜日記」を探す。ただ、この「王韜日記」だが、1987年に北京で「近代中国人物日記叢書」(中華書局)の一つで出ているはずだが、見当たらない。他の人が借り出しているかどうかをチェックしてもらうが、それもなし。あるはずの場所には王韜の別の書が並べられている。「甕*餘談」「衝花館雜録」とかはある。そもそも「王韜日記」なる書名のものは元はないはずだが、「衝花館雜録」のことかも知れない。この本は、燕京のも手抄本(手稿本の)であるが、台湾中央研究院近代史研究所の原稿用紙に書かれている。確かにこれは日記形式になっている。それにしても、よくこれだけの量のものを書き写したものだ。一応、借り出したが、コピーするのは時間がかかりそう。
夕方帰宅。今日から、また新しい家族が増えた。ブラジル人の女性。1ヶ月滞在とか。
【夜】
メールチェック。他。
【今日の食事】
朝食:コーンフレーク、トースト、コーヒ
晝食:そば定食(押し寿司付き)
夕食:チキンスープ(手作りヌードル入り)、サラダ、コーヒ
3/28-5/31にしたこと
- 「イソップ中國語飜譯小史」(仮題)初稿(約32,000字)
6/1-7/10
- 「イソップ中国語訳の系譜」(約40,000字)
今日コピーしたもの(マイクロを含む)
- 特になし
パソコン關係
- なし
【アメリカでの連絡先】
Keiichi Uhcida
C/O Mrs.Barbara Marchese
27Daniels St,Arlington,MA 02174,USA
or
Keiichi Uchida
Department of Asian Languages and Civilizations
2 Divinity Avenue,Cambridge,MA 02138,USA