1998/11/17(火)

中断前の日記(7月最終分)へ


きのう/きょう/あした


数字の話

昨日の数字の話に関して、荒川さんからメールを頂いた。
「8」が「縁起のよい数字」なのは、南方的と書いたのに対し、北京の友誼賓館は「8888」だし、中国人は電話番号を選ぶときに「8」を希望するということ。香港の富豪のベンツの車体番号が「88888」とかが多いのは知っていたが、北方でも同じ様な傾向があるようだ。考えてみれば、南方音は古い中国音を残すから、中国人の伝統的な発想としては、基本的に「8」=「發」があると考えても不思議はない。
いずれにせよ、「日記」を読んで頂いて、貴重な意見を頂けるのは嬉しいことである。感謝荒川先生!

【午前】【午後】

午前中、昨日出来上がったマイクロを少し見る。「華英通語」の序文は福澤のものと少し違っている。福澤のものでは「この書は友人の子卿が作ったもの」とあるが、この版では「子芳」となっている。また、その序文を書いたのも「何紫庭」ではなくて「拙山人」だ。これは調べてみる必要がありそうだ。
お昼はフェアバンクセンターで、臺灣交通大学の先生、韓国人の友人、中国人の友人と一緒に食事。その後、再び、燕京に戻り、「陳[虫+乙]集」を探す。「なし」。なお、昨日デポジットで請求しておいた「蒙学読本全集」(無錫三等学堂編)は本日届く。これは、日本の教科書を習って作られたものだが、当時の語彙の「安定度」「定着度」を考える一つの資料と成りうるように思う。1898年出版のもの。
今日は書庫でもう一つ思いがけない本に出くわした。「呉語研究」(香港中文大学、1995)という論文集である。実は、拙稿も中に収められているが、これは1988年に香港で開催された「第一回呉語研究国際学術会議」の論文集である。編者からはその後何の連絡もないので、出版されなかったと思っていた。この会議は中国・臺灣:香港・アメリカ、そして日本等々の国から40人余りが參加し、1949年以来初めて、中国社会科學院語言研究所所長(当時は劉堅氏)と台北中央研究院歴史語言研究所所長(当時は丁邦新氏)が顔を合わせた歴史的な会議である。拙稿はつまらぬものだが、他の所収論文は当時の呉語研究を代表するものと言えるだろう。しかし、日本から參加した人も、恐らくこの論文集が出版されていたことは知らないのではないだろうか?
今日は午後4時から燕京図書館の「コーヒアワー」が開かれた。主に大学院生と訪問学者を対象にしたものだが、軽食を取りながら「図書館への意見」を述べる会である。こういうのが、しばしば開かれるが、利用者の意見を出来るだけくみ入れていこうという姿勢は非常に好感がもてる。日本の大学図書館でこういうのを実施している所があるだろうか??
5時過ぎ帰宅。

【夜】

メールチェック。他

【今日の食事】

朝食:コーンフレーク、トースト、コーヒ
晝食:ハム・チーズハンガーガー、フルーツ、ゆで卵、コーヒ
夕食:ステーキ、ブロッコリー、ポテト、サラダ、コーヒ


3/28-5/31にしたこと

  • 「イソップ中國語飜譯小史」(仮題)初稿(約32,000字)

6/1-7/10

  • 「イソップ中国語訳の系譜」(約40,000字)

今日コピーしたもの(マイクロを含む)


パソコン關係

  • 特になし

【アメリカでの連絡先】

Keiichi Uchida
C/O Mrs.Barbara Marchese
27Daniels St,Arlington,MA 02174,USA

or

Keiichi Uchida
Department of Asian Languages and Civilizations
2 Divinity Avenue,Cambridge,MA 02138,USA


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