1999/01/11(月)
一つの別れ
今日はこちらに来てから知り合った(もちろん日本に居るときにも名前は聞いていたのだが、会ったのは初めて)友人が一足先に日本に帰国した。空港まで見送ったが、少し寂しい気分である。「会うが別れの始め」とはよく言ったものである。
4月末に彼から「日本からいらしたのではないですか?」と図書館で聞かれて、すぐにその人だと直感した。それ以来、ほとんど毎日、大学で行動を共にした。お昼ご飯も一人では味気ないが、一緒だと心が和むというものだ。私の悪い性格で時々人と話すのが億劫になる時があるのだが、それでも彼は嫌な顔もせずにつき合ってくれていた。彼のお陰で私のハーバード暮らしも随分と楽しいものになったと感謝している。
中国のパスポートというのは、いろいろと制限があることも彼を通じてよくわかった。国家間でも、人間社会と同じで数々の差別が存在している。今日も空港の搭乗手続きカウンターで「日本のビザは?」と聞かれたりしている。彼はボストンからソウル経由で関空に戻るのだが、アメリカ出国に際して日本のビザの有無を聞かれているのだ。普通のことなのかも知れないが、私はそのような経験は全くない。係員に何故と聞くと「いや、中国のパスポートですから」と言う。ふざけた話ではないか。
彼とは今後も長い付き合いになるだろうが、今はただ「一路平安」を祈りたい。
風を運べよ遠い人へのこの便り
4年目の冬寒さを拒むまい
どれだけ歩いたのか考えるよりも
導なき明日に向かって進みたい
あなたの人生が幾つも旅を經て
帰る日来れば、笑って迎えたい
私も今また船出の時です
言葉を選んで贈るより
そうだ「元気です」よと答えたい
【今日の一日】
午前中はバーバラさんのお手伝い。地下の部屋のベットを一つ片づける。今晩からブラジルの子がバーバラさんの娘さんの家に引っ越すため。これで明日から2月末まで日本人3人とバーバラさんの4人に戻る。
お昼は燕京図書館の職員と友人の3人で食事。前から招待されていたのだが、友人が帰る日になってしまった。「京味」で中華。
早めに家に戻り、見送りの準備。夕方5時過ぎバーバラさんの娘さんの運転で空港へ。手続きをすませて3人で夕食。本当は友人と二人でゆっくりと残りの時間を過ごすつもりではあったが、娘さんがいるから日本語や中国語を話すわけにもいかない。それでも片言の英語で気持ちは通ずるものだ。今夜のボストンの夜景はいつもに増して綺麗だった。それは私たちの目が些か潤んでいたせいかも知れない。
明日から2月末までまた一人で図書館がよい。それもまたよし。
【今日の食事】
朝食:コーンフレーク、トースト、コーヒ
晝食:炒三鮮(えび、豚肉、牛肉と野菜の炒め)
夕食:クラムスープ、パン、サラダ、ジュース、コーヒ
これまでにしたこと
- 「イソップ中國語飜譯小史」(仮題・・未完)
- 「中国語教育の歴史と現状」(「関西大学一般教育センター紀要」掲載予定)
- 「海外からメールを送りたいーアメリカ編」(「しにか」別冊「コンピュータと中国語」掲載予定)
今日コピーしたもの(マイクロを含む)
- なし。
パソコン關係
- なし。
【アメリカでの連絡先】
Keiichi Uchida
C/O Mrs.Barbara Marchese
27 Daniels St,Arlington,MA 02476,USA
or
Keiichi Uchida
Department of Asian Languages and Civilizations
2 Divinity Avenue,Cambridge,MA 02138,USA