1999/01/21(木)
【今日の一日】
午前中、早めに燕京へ。昨夜、リコールしておいた「The history of Shanghai」が届いてるという電話があったから。G.LanningとS.Coulingの書だが、臺灣のリプリント版だった。ここに収められている1853年当時の上海の地図が見たかったのだが、このリプリント版ではカットされている。やはり原書を探す必要がある。ただ、中に「Life of Sir Harry Pakes」のことが書かれていたので、それを見たくなる。Widenerにあるのだが、書庫にはなくてカウンターで手続きが必要なよう。
11時に韓国の友人と待ち合わせ。ソウルー北京の航空券の件だが、今日はあいにく担当者が休んでいるということで、また明日一緒に行ってもらうことになった。北京ー香港ー台北の切符は中国人の友人がすでに予約してくれた。台北から大阪は、日本の知人を通じて臺灣在住の日本人に予約してもらった。これで、一応は3月末帰国までのルートは完成。
午後は、ボストンの「台北経済文化辧事処」にビザの申請に。非常に親切な対応で、20分ほど世間話までしてしまった。
帰りにもう一度、WidenerとHoughtonに寄る。昨日Houghtonでマイクロの見積もりをお願いしたGoncalvesの2冊は全部で$155。とりあえず注文。Widenerでは上記の本の請求後、前に気になっていた「Shanghai Almanac for 1852 and commercial guide」を見る。これには1851年当時の上海地図があるのだ。この本は借り出しが出来ないので、すぐに該当個所をコピー。よく見ると、「墨海書館」の位置も示されている。なお、説明によると、1850年の「the Chinese Miscellany」No.4にも地図があるとある。その本は燕京とWidenerにあるようだが、どちらもデポジトリ。また明日にしよう。
ちょっと疲れたので4時頃バスに乗って帰宅。
バーバラさんが、2月27日から新しい学生を入れると言う。しかも私の部屋にだ。前もそう言っていたので「それは理屈に合わない。私が28日に出ることは前々から言ってある。何故、27日からにするのか。28日からにすればいいじゃないの」と言うのだが、「土曜日からでないと部屋代の計算がうまくいかない。私が一晩はソファーに寝るから、お前は心配することはない」の一点張り。以前も下に3人も入れてしまって、学校からクレームがついたのだが、どうもわからない。27日は私は荷造りとかで忙しいから自分の部屋を明け渡すことは絶対しないつもり。こういうことがあって、今日は気分がすぐれない。
【今日の食事】
朝食:シリアル、トースト、コーヒ
晝食:チキンバーガー、ピザ、コーヒ
夕食:ポーク、じゃがいもと人参の煮込み、ブロッコリーの炒め、サラダ、コーヒ
これまでにしたこと
- 「イソップ中國語飜譯小史」(仮題・・未完)
- 「中国語教育の歴史と現状」(「関西大学一般教育センター紀要」掲載予定)
- 「海外からメールを送りたいーアメリカ編」(「しにか」別冊「コンピュータと中国語」掲載予定)
- 「王韜日記に見れる『化學』と『戴君』についてのノート」
今日コピーしたもの(マイクロを含む)
- 「Shanghai almanac for 1852 and commercial guide」(Printed at the “Herald” office, Shanghai)の一部
パソコン關係
- 特になし。
【アメリカでの連絡先】
Keiichi Uchida
C/O Mrs.Barbara Marchese
27 Daniels St,Arlington,MA 02476,USA
or
Keiichi Uchida
Department of Asian Languages and Civilizations
2 Divinity Avenue,Cambridge,MA 02138,USA