1999/02/27(土)

中断前の日記(7月最終分)へ


きのう/きょう/あした


ボストン最終月-残り1

明日の前に

どれだけ歩いたのか覚えていません
気づいた時は風の中
涙が一滴頬をつたう頃
淋しい夜だけが迎えに来ました
ああ人生は流れ星
いつ果てるともなくさまようだけです

色んな言葉に惑わされました
枯れ葉の舞う音も覚えています
一人で居てさえも悲しい町で
愛を見つけても言葉がないんです
・・・・・・・・・・・・・・・

時には自分を振り返ります
話しかけます涙のままで
あふれる悲しみを笑いに変えて
さすらう心根を歌に託して
ああ人生は巡り巡る
いつ安らぐのかも夢の彼方に

【今日の一日】

今日は1日朝からお忙し屋さん。
下の子達が一足先にここを出ていくが、朝食は初めて3人一緒。バーバラさんがパンケーキを作ってくれる。彼女たちは昨夜、バーバラさんにお礼の花束贈呈。こういうところが、日本人ならではなのだ。そのことをバーバラさんに代表されるアメリカ人はもっと理解して欲しいと思う。10時半頃、彼女たちに別れを告げて、散髪に。これもバーバラさんの娘さんの美容室で。その後、大学へ。
臺灣交通大学の先生と、韓国の嶺南大学の先生の家族と、チャイナタウンで昼食。今日は私が払おうと思ってたのだが、結局、「送別会」ということでご馳走になってしまった。この人達には本当にお世話になった。
燕京に戻ると、久しぶりにテキサスの臺灣籍の先生と会う。この人にもこれまで、車であちこち案内してもらった。明日も、空港まで送ってくれるという。また、受け入れの李先生とも廊下でお会いしたので、お別れを言う。図書館の貴重書コーナーの沈さんともうまい具合に会えたが、また「墨海書館」関係の切り抜きを頂戴した。
夕食は、韓国の漢陽大学校の先生の家。私の他、交通大学の人、臺灣大学の人、燕京図書館の中国書の主任、それに先日知り合った韓国の先生。皆、女性だが、同じ中国関係をやっていることもあり、中国語で話がはずむ。ここに来てから、特に臺灣と韓国の研究者との交流が多く出来たことも一つの収穫である。最近の韓国の中国学の「勢い」を感じたし、臺灣は資料の豐富さに今更ながら感心した。9時半頃まで食事をしながら歓談。その後、家まで送ってくれた。
最後まで「お世話に」なりっぱなしだった。お返しは何一つ出来ていない。これが一番の心残りだが、今後またお会いする機会もあるだろうし、何よりも自分の仕事で恩返しをしていくしかないと思ったりしている。
ゆく人あれば、来る人あり。帰ると新しいホームステイの人が到着している。「去る者は日に以て疎し」とは言うが、バーバラさんも、すでに心はその人達に向かっているのだろう。また、それでいいのだと思う。人生とはそういうものだ。数々の「出会いと別れ」の繰り返しである。それでも、このボストンでの多くの「出会い」はいつまでも大切にしておきたいと思っている。

【今日の食事】

朝食:パンケーキ、コーヒ
晝食:ロブスター、紅焼茄子、ほか
夕食:韓国家庭料理


これまでにしたこと


今日コピーしたもの(マイクロを含む)

  • なし。

パソコン關係

  • なし。

【アメリカでの連絡先】

Keiichi Uchida
C/O Mrs.Barbara Marchese
27 Daniels St,Arlington,MA 02476,USA

or

Keiichi Uchida
Department of Asian Languages and Civilizations
2 Divinity Avenue,Cambridge,MA 02138,USA


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