「もう、いいだろう」
2004/01/14(水)
こう言って、彼は自ら酸素マスクをはずし、この世に別れを告げたという。
ここにもまた一つの死の形がある。かつての闘士、藤本敏夫の「カタのつけかた」である。
彼の妻であった加藤登紀子の『青い月のバラードー獄中結婚から永訣まで』を、妻から勧められて読んでみた。ほんとは、余り読みたくなかった本であるが、結局、読み始めたら一気に最後まで読んでしまった。しかも、後半は目がかすんで文字が見えなくなるくらい。
そう言えば、彼が出所してから「大地」などの活動については一時私もそれに興味を持って、その会報を購読したこともあったような記憶がある。しかし、その後、参院選に立候補したりする頃からは全く関心はなくなっていた。でも、この本を読むと、ずっとそのような活動を続けていたことがわかるのであるが、本当にこれが彼のやりたかったことなのか、そして、そのような生き方が彼の本当に望むところのものであったのかは、私には分からない。
ただ一つだけ言えることがある。彼も確かに「べし」の時代の犧牲者の一人であったのだ。そして、その「べし」の時代に裏切られ、そこから解き放たれた一人でもあったということである。
それにしても、「べし」の時代は、なんと多くの藤本敏夫を作り出したことか。樺美智子に始まり、山本義隆、秋田明大、高橋和己、高野悦子、田村正敏・・・。
それでも、「べし」の時代が決して不幸な時代ではなかったはずである。でなければ、ガンとこれだけ向き合うことは出来なかったはずだし、その後の人生を力強く生き拔くこともできなかったはずであるからである。
「私たちの運動が何かを残したとは思わないし、それでいいと思う」という秋田明大氏の今の発言は、道浦氏の「<世界より私が大事>簡潔にただ端的に本音を言えば」と相通じる部分があるのである。