あくまで「熱く」
2004/08/04(水)
またまた行ってきました。そうです、拓郎のコンサート第2弾、東京は中野サンプラザです。
実は昨日のコンサートではハプニングがありました。
「脣をかみしめて」の次の最後の部分で拓郎が声をつまらせたのです。
「人が生きとるね、人がそこで生きとるね」
「人がおるんよね、人がそこにおるんよね」
これまでの人生、特に昨年の肺ガンからの帰還にさすがの拓郎も感極まったのでしょう。
そして、その後に、さらなる大きなハプニング。
「ごめん」と言った後に、次の曲のイントロが始まったのですが、舞台中央でうずくまったまま。イントロは終わり、曲が始まっても立ち上がれません。歌う主を失ったまま、次の曲も伴奏だけが流れました。
そして、舞台を下りた拓郎に代わって主催者が「貧血のため、10分間休憩を入れます」となった次第。
休憩後、座ったまま最後までコンサートは続けられ、アンコールは気丈にも立ち上がって歌ってくれました。
この中野サンプラザは拓郎にとっては1973年のライブ以降久しぶりの会場。そこで、名曲「落陽」は歌われたのです。いつもは(この前の「つま恋」でも)拓郎は「落陽は良い歌だが、いつからお祭りの歌になったんだろうね」と皮肉っぽく言うのですが、昨日は違いました。
「確かに自分でも良い歌を作ったと思う」と。
エンディングでも「いつまで声が出るか分からないが、出るまで歌い続ける」なんて、拓郎には珍しい台詞を述べていました。
今回のコンサートツアーは拓郎にとっては、「つま恋」に始まり、この中野サンプラザにしても、鹿児島にしても、これまでの「思い出の地」を舞台としていますが、どこか、「最後の旅立ちの身支度ツアー」のような気がしてなりません。
「落陽」に対するコメントも、生(死)と向き合った拓郎の素直な気持ちが現れているように思いました。
「生と死のぎりぎりのところで生きている」そんな感じすらしたものです。
そんな生き方が人の心をうつのでしょう。
熱くあれ あくまで熱く なお熱く
終(つい)の日までも 熱くあれかし
思わず、こんな歌ができました。