水谷先生へ
2006/05/27(土)
今週は水曜の午後から今日まで東京出張でした。ここでも、また「何をそんなに一生懸命にやるの?」とみんなから言われているが、それでも、誰かが10年の「マンネリ」を打破しなければならない。別に僕がする必要もないのだが、これも、性分だからしかたがない。
今週は今ノーベル賞に最も近いと言われている中国人作家・莫言氏の講演が大学であったのだが、それも行けなかった。まあ、これは同僚の先生方や学生、院生が沢山参加して大成功であったとのことで、何よりである。教師とか専門家はどうでもいいが、学生や院生に大きな刺激となったはずである。プロモートしてくれた毛丹青氏と切り盛りした先生方のご苦労に感謝したいと思う。
ただ、僕は莫言氏の講演が聴けなかったことより、今日の午後に吹田市で開かれた「夜回り先生・水谷修先生」の講演が聴けなかったのがもっと残念であった。
莫言の講演に感激したり、そこから文学をやりたいと思う若い人が出てきたり、研究者が出てきてくれることは、教師として何よりも嬉しいことではある。でも、僕は、それも大切だが、一方で、そのような講演を聴ける環境なんかは想像も出来ない状況に置かれている子供たちがこの国では沢山、存在していることも、いわば「勝ち組」の学生たちには知っておいて欲しいと思うのだ。
教員希望の学生は増加しているが、でも、偏差値の違いはあれ、とにかく大学に入ってきた人たちは、やはり「選ばれた集団」である。その人たちに、「落ちこぼれ」の心が本当に理解できるのか、そういった根本的な疑問が僕にはある。彼らが教師となった時、そういった子供たち如何に対処していくのか。彼らの「痛み」をどのように自らの「痛み」ととらえられるのか。そういうことを、考えてしまうのだ。これは、僕が大学に入った時から抱き続けてきた「疑問」である。だから、僕は、大学に入るまで抱いていた教師の夢を捨てたのだ(と言いながら、今、教師をやっているという大きな矛盾・・)。
何はともあれ、水谷先生の講演を聴けなかったことは本当に残念である。でも、今日きっと、また何人かの子供たちの命が救われたはずである。先生、有り難うございました。
2006-0527