ターニャの日記

きのう/きょう/あした


2013/08/04/(日)

今日は「ターニャ」に明け暮れた1日。
昨日、神戸外大で教えている学生から「ターニャの日記見られました」と書き込みがあって、そうだと思い立った次第。
「ナチスに学べ」と言った元首相にこそ、この「ターニャの日記」を読ませないといけないと思う。
さて、午前中まずはその日記が保存されているというサンクト・ペテルブルグ歴史博物館へ。ここは住所が分かっていたのですんなりと行けた。ただし『地球の歩き方』などには載っていない。
入って、何か以前来たことのあるような感覚を覚えた。そうだ、これは以前アムステルダムの「アンネの家」を訪れた時のあの感覚、そして、沖縄の摩文仁の平和記念館で感じるあの空気なのだ。
1941年12月28日午前12:30 ジェーニャが死んだ
1942年1月25日午後3:00 おばあちゃんが死んだ
1942年3月17日午後5:00 リョーカが死んだ
1942年4月13日深夜2:00 ワーシャおじさんが死んだ
1942年5月10日午後4:00 リョーシャおじさん
1942年5月13日朝7:30   ママが死んだ
サーヴィチェフ一家は死んだ
みんな死んだ 
ターニャひとり残された
「ターニャの日記」はこれだけです。あたら14歳でこの世を去ったターニャを思う時、どうして軍事力が抑止力と言えましょう。
この日記を見た後、ターニャの住んでいたアパート探しが大変だった。実に4時間歩きづめ。あきらめて帰ろうと思った時、そこにあった。これも、「ここに住んで日記を書いた」という記念碑があるだけ。この場所にたどり着くまでに何人かの人に尋ねたがみな知らないという。ロシアでも同じなのだ。自分たちの歴史を知らないのだ。
何はともあれ、目的を果たし、早めにバレー鑑賞にマイインスキー劇場へ。
本物のバレーを見るのは初めてだが、バレーという芸術は「白鳥の湖」のために生まれたものではないか、そんな気がした。
あの足の動きとか全く白鳥そのもの。それに、プリマドンナも勿論素晴らしいのだが、周りで侍っている40羽ぐらいの白鳥がすごい。じっと白鳥の脚のように微動だにしない。実に見応えがあった。ただ日曜で遅くなると人通りも少ない所だし、タクシーも白タク多いようだから、2幕目終わってから、後ろ髪を引かれながら帰宅。
それにしても、その劇場からも歩いて40分。今日は一体何キロ歩いたことか。足が棒とはこのことだ。さて、明日はドイツ。