負の歴史にこそ向き合うべき
きのう/きょう/あす
今回のエアランゲン大学での第11回東アジア文化交渉学会は、初めてアジア以外の国で開催されたが、約120名の参加者で極めて盛会であった。2007年に文科省のGCOEプログラムに採択された関西大学東アジア文化交渉学教育研究拠点を契機に組織された学会であるが、会員も400名を超えて社会的認知も得られてきたように思う。
さて、会議終了後,1日ニュルンベルグを散策したが、ニュルンベルグソーセージはもちろん美味しかったが、心に残ったのはやはり「帝国党大会会場文書センター」である。いわゆる、ヒットラーの政権掌握からニュルンベルグ裁判までの記録を収めた場所である。実際にここが、ヒットラーが建て、当時毎年大行進が行われた場所である。いわば、ドイツの「負の歴史」の記念館であるが、当然、ジェノサイドも写真付きで取り上げられている。そしてこれこそがドイツとこの国の決定的に違いである。
自分たちの歴史にまともに向き合おうとはせずに、あげくには、南京や強制連行、慰安婦は存在しなかったとか、それを取り上げることを『自虐的」と批判するこの国の悲しい姿である。
過去の事実を正視せずして、そこから何も生まれやしないのにだ。忌まわしい過去を繰り返さない前提は、先ずはその過去を認めることである。沖縄然り、広島、長崎、そしてフクシマ然りである。今の為政者にはそのことがまるで分かってはいないのだ。
嗚呼、この国を如何せん!