1999/03/23(火)
【今日の一日】
曇天。午前中、社科所の所長と面会。40代の若い所長である。この中央科學院の研究員はアメリカ留学組が多いようだが、所長も然り。ノーネクタイで気楽に話せるのがよい。もちろん「時と場所」は選ぶ必要があるが、日本の大学はやはりどこか「形式」にこだわり過ぎるように思う。
文哲研究所にある本を見たいのだが、ここは歴史語言研究所よりもガードがきつい。はっきり言ってここにはそれほどいい本はないのだが、どうしても見せてもくれない。この「封閉性」は何とかならないものだろうか。
夜は廈門大学歴史研究所所長、廈門大学の臺灣史研究家、それに臺灣大学の歴史系の先生方などと会食。廈門大学の臺灣史の人は、実は復旦の周振鶴氏の弟さん。奇遇である。考え方もよく似ている。専門分野にこだわらない幅の広い人である。彼もここの図書館の利用のあり方に大きな不満を述べていた。それにしても、臺灣と大陸の学者がこのように一堂に会して自分たちの意見を自由に披露するというのは、一昔前では考えられなかったことである。そういう「時代」なのだと痛感する。今、「両岸」はかなりの緊張関係にあるが、学術交流や民間レベルの交流は別である。先日、市内の大陸出版物を扱っている書店に行ったが、たいていの大陸の本も買えるようになっている。後戻りしないことを願っている。
今夜も3時過ぎまで映画を見てしまった。
【今日の食事】
朝食:パン、コーヒ
晝食:酢豚弁當
夕食:宴会
ボストン滞在中に書いたもの
- 「イソップ中國語飜譯小史」(仮題・・一部完成原稿)
- 「中国語教育の歴史と現状」(「関西大学一般教育センター紀要」掲載予定)
- 「海外からメールを送りたいーアメリカ編」(「しにか」別冊「コンピュータと中国語」掲載予定)
- 「王韜日記に見れる『化學』と『戴君』についてのノート」
今日コピーしたもの(マイクロを含む)
- Yang Fu-mianの「第二届国際漢学会議」の論文ほか
パソコン關係
- なし。
【日本の連絡先】
Keiichi Uchida
3-3-35,Yamate-cho
Suita-shi,Osaka,564-0073,Japan