時を告げる鐘の音

きのう/きょう/あした


2011/09/05/(月)

ローマに来て2週間あまりが過ぎた。書くことは沢山あるが、とりあえずはこの話。
ヨーロッパには98年以来ほぼ毎年1,2回は来ており、これまでもヨーロッパのどの町でも教会の鐘は耳にしてきた。
でも、単に「ああ、また鳴っている」とか「お昼かな」あるいは「今日は日曜だからミサの合図か」ぐらいにしか気にとめることもなかった。
しかし、今回ここに滞在して、恥ずかしながら初めて分かったのだ。
この付近の教会の鐘はまさに時を告げる鐘、「時鐘」なのだと。
もちろんヨーロッパの全ての教会の鐘がこうではないと思うが、ここ「カンポ・デ・フィオーリ広場」の鐘は1日に何度も鳴るのだ。
というか、正確には15分おきに鳴るのである。しかも、それは「分」と「時」で音色と数を変えている。
たとえば、「カラン、カン、カン」ならば「(午後の)2時15分」である。
お昼の12時30分ならば、「カラン、カラン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン」となる。
つまり、最初の「カラン」が15分で、「カラン」が3つなら45分、その後の「カン」が「時」で8時ならば「カン」が8つというわけだ。正時は最初に4つの「カラン」で始まる。
なお、ここの鐘は24時間ずっとではなくて、朝は8時半から、夜は10時までのようである。
こうしてみると、ヨーロッパの時の基本は、「15分」(a quarter)であることが分かる。
一方、日本や中国では明治までは12時間制を採用していた。
すなわち、1日を「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」の12辰刻に分け、最初の1時間を「初」、後半の1時間を「正」と呼んだ。更に、小さな単位として1時間を15分ごとの「刻」に分け、1日を96刻としたのである。
たとえば「子初初刻」とは「23時15分」のことであり、「午正二刻」ならば「12時30分」ということになる。
また、それぞれに鳴る鐘の数も決まっていた。「暮六つ」とは「酉初」になる「6つ」の鐘であり、それは19時のことであった。
ただよくよく考えて見れば東洋も西洋も、実はどちらも15分が基本単位という点で共通しているのは面白い。
中国語の「刻」は英語の「Quarter」の音訳だとも言われるが、中国でも元来15分の「刻」という言葉と概念は存在したのだ。

日本でも朝と晩にはお寺の鐘はなる。日中は喧噪にかき消されて聞こえないが、都会でも早朝には時折夢心地で聞こえてくることがある。
安井かずみの「私の城下町」では「家並みが途切れたら、お寺の鐘が聞こえる」とある。確かに、そうした静かな場所でしか鐘の音は聞こえない世の中になっているのだ。
正岡子規の「柿食えば鐘が鳴る鳴る法隆寺」などは、あの時代でこそ生まれた歌である。しかも、時間は多分、夕暮れだ。
こうしたお寺の鐘は、私のイメージの中では「一日が終わろうとしている夕方の穏やかな時と、その中に、どこか寂しさや憂いが含まれる時」なのだ。
いずれにせよ、日本のお寺の鐘は今や必ずしも時を告げるものとはなっていない。
これに対してヨーロッパの教会の鐘はなお実用性を保持しているように思われる。
時計を持ち歩かなくとも、時刻は鐘の音で分かるのだ。
しかしながら、それはあくまでも最小単位は「15分」という「アバウト」な時の認識である。これで人は十分生きていけるのだ。
してみると、人は必ずしも1分単位で時を刻む必要はなかったのだ。まして今の世の中のような「1秒単位」というのは、人の本来の生き方からは、遠くかけ離れたものであると言えるだろう、
時は人が刻んだものである。とうとうと目にも見えず、手でも触れられない流れる時を、人があたかも形あるもののように切り取って表してきただけなのだ。しかし今や、時に人は支配されている。「時計」がなくては人は生きられなくなってしまっている。

今回、教会の鐘の音を聞きながら、この10数年、まさに秒単位で仕事に追われてきた自分を思っていた。
たまには、こうして時に追われず、時に流されず、おだやかな時間に浸るのもいいのではないかと思っている。しなやかに生きるためにも。

ところで、かつて98年に訪れたアムステルダムの隠れ家のアンネは次のように述べていた。

「パパも、ママも、マルゴーも、いまだに角の西教会の時計塔から流れてくる、15分ごとの時鐘の音に慣れていません。でも私は平気です。最初からこの音が気に入っていましたし、特に夜は、忠実なお友達のような気がしますから」(アンネの日記)

この気持ちが今なぜかよく分かる気がするのだ。

たそがれの 広場に響く 鐘の音に
明日を知らぬ アンネを想う