旧友再会フォーエバーヤング(5)
2007/04/15(日)
さて、学生運動も時が経つにつれ、すべてに敗れ、大学も徐々に平穏化し、政治的課題等もなくなってくると、本来の活動ではなく新たな「敵」を作ることに力が注がれることになる。いわゆる「内ゲバ」である。
うちの大学でも、私が3年の時、それが起こった。自分の大学ではそのシンパを含めても4,5人しかいないので、隣の金沢大からかき集めて、当時の自治会の委員長を襲ったのである。
私は、全国で「内ゲバ」が始まった頃から、そのような「自分よがりのセクト主義」にはどうしても与し得なくなり身を引いていたが、事件が起こった翌日には権力が私の家にやってきた。
彼らは実に姑息な手段を使って情報を聞き出そうとするのだ。
私の母は私が2年の時に肝硬変で44歳の短い生涯を終えていたが、そいつは「昔、お母さんにはよくお世話になった。線香を上げさせて欲しい」といきなり家に上がり込むのだ。やつが私の母を知っているはずもないのに。その後、やおら「ところで昨日の事件ですが、一体、誰がやったんでしょうね?何かご存知じゃないですか?」などと聞き出すのだ。「今から授業で大学に行く」と言えば、「近くまで車でお送りしましょう」とくる。これが、彼らのやり口なのだ。
このこともあって、私は小中学校の教師になる夢を断念し、大学院進学を決断したのだった。
教師の夢を断念した理由はもう一つあった。4年になると、同級生たちはみな教員採用試験の準備を一生懸命始めるのだ。また、教育実習なども、念入りに教案をまとめたり、実習校の指導教員の言いつけをよく聞いて「立派な」授業をやろうとするのだ。それまで、「教育とは」とか、「大学とは」、「社会とは」とか何ら考えようとせず、「学生の本分」を守り、「のんびり」と大学生活を送ってきた者たちがである。そのことに私は憤りを抱いていたからである。そして、そんな人たちしか、教師にはなれなかった。本当に教師になりたかった(なるべき)人は、別の道を選ぶしかなかったのだ。(僕の大学時代の友人は結局は地元のスーパーに就職した。(→)ただ、田舎では確かにそのような状況だったが、都会では必ずしもそうではなかったようであり、例の彼は大阪で中学校の社会科の教員になった。本来、教師になるつもりの私は中国語の道を歩み、中国語の道を歩むはずだった彼が教師の道を歩むことになったのだから、世の中はわからないものである。