また一人

きのう/きょう/あした


2007/01/22(月)

先日、「燃えよ剣」について、河野寿一監督と書いたが、あれは、「新撰組血風録」の方で、いわゆる「燃えよ剣」は、松尾正武監督だった。まあ、いずれも26回で、配役もほぼ同じ。でも、「燃えよ剣」の方が「泥臭い」俳優が多く出ている点で、僕は好きである。
近藤勇を演じた栗塚旭は、かつで京都の「哲学の道」で喫茶店を開いていた。そこにかみさんと一度行ったこともある。演技はお世辞にもうまいとは言えないが、不器用な、とってつけたような台詞回しがまた味があるのだ。

先週の金曜から今日までまた東京だった。
その前の週も博論の審査で東京。
来週もまた東京である。
その間、先週は叔母が亡くなり、急遽、福井に戻ったりもしていた。
来月は入試。その間に、母の49日法要もしなければならない。
その上、今は大阪で「一人暮らし」。これまであまりしたこともない、炊事、洗濯にも挑戦したりしている。
まあ、これもまたよし。

ところで、関大文学部からまた一人、惜しまれて辞められる先生がいる。
ご病気のためだが、その潔さに、その先生の生き様をかいま見ることができる。
先生は同僚というより、むしろ私の青春時代の記憶に残された一人の「思想家」である。
学生時代、院生時代、私は先生の書かれた本をよく読んだものである。
その頃、教育学部の学生であった私は、やはり「教育」に関心があったが、いわゆる世間で言われるような「教師聖職者論」には大きな抵抗があった。その対極にあって、「教育労働論」を書かれたのが先生であったのだ。その先生と同じ大学に勤めることになろうとは、「縁とは不思議なもの」である。
教授会での先生の発言はいつも理路整然として、聞くものを感動させるものであった。
最近でも「大学の倫理規定」に関して、まさに「正論」を説かれていた。このところの大学の「改悪」についても、お会いする度に、お互いに「どうしようもないですね」と愚痴をこぼし合ったものである。
要するに、ご病気のこともあるのだろうが、そのような先生が生きられない大学になっているということである。
先生とはもっと「教育」についてお話をしたかった。
実のところ、先生の「教育論」に対しても、全く「異議無し」というわけではなかったからである。
ともあれ、また大切な人をこの大学が失ったことだけは確かなことである。