「別れの季節」
2006/03/28(火)
3月は「別れの季節」である。
今年も、沢山の「別れ」があった。
卒業、修了、退任、退休、任期満了・・・・。
人は一人では生きていけないものである。そして、多くの「出会い」と、出会った分だけの「別れ」がある。
それぞれが、この地球上の何十億の中でのたった一つの「出会い」と「別れ」である。
だからこそ、その一つ一つの「出会い」を大切にしたいと思うのだ。
「別れ」は悲しく、寂しいものであるが、それはまた、次の新しい「出会い」のためにあるもの。
「絶望の虚妄なること希望に相同じい」と魯迅はペトフィーを引いたが、「出会い」と「別れ」もまさにそのようなものとしてあるように私には思える。
これからも多くの「出会い」と「別れ」があるのだろう。
「別れる」時に、その「別れ」のための「出会い」を幸せだったと感じることができるような生き方。
最終的に問われるのはやはり自分自身なのだ。
桜は「その時」のために、枝や幹をピンクに染めるという。
まさに、満を持すということなのだろう。
人生も同じこと。問われるのは、結果ではなくてその過程なのだ。
そんなことを思うこの季節である。