戦争と人間
2004/05/09(日)
別に五味川純平のそれではない。
先週はテレビ東京開局何周年かの記念番組でなかにし礼原作の「赤い月」を見た。今日は六本木ヒルズのVirgin Cinemaで「コールド・マウンテン」を見てきた。
「赤い月」は映画化もされているが、ネット上での評価はそれほどかんばしくはない。ただ、テレビの方は僕の好きな高島礼子が主演ということもあり、それほど悪い出来ではないように思った。ただ、機銃掃射の場面があるのだが、その飛行機が昔の映画でよく見られたような「おもちゃ」のそれであったのには愕然とした。雲の合間から戦闘機が現れるのだが、糸でつるしているのである。
コールド・マウンテンはニコール・キッドマンが素敵だった。僕はメグ・ライアンが好きなのだが、このニコール・キッドマンも好きになった。
いずれの映画も人が起こした戦争に飜弄される人々の「愛」を描いたものであるが、「戦争」と「人間」と「愛」というのはいつの時代も映画や小説の題材として最も描きやすく、人間の本質をとらえているのかも知れない。だから人は戦争をするのかとすら思ってしまうくらいである。
それにしても、ものの見方というのは「立場」によって変わるというのは、「赤い月」などを見ていると確かにその通りである。
高島礼子扮する森田波子は、見る人によったら「自由恋愛に名を借りた単なる淫売、尻軽女」となるし、また別の見方をすれば「愛することは生きること」「自らの意志を貫いた時代を先駆けた自由な女性」ともなる。それでいいのだと思う。映画を撮る側と見る側の認識は違っても構わないし、表現というのはそもそもそういうものであろう。だから「映画って本当に面白い」のだ。