「断章取義」
2004/01/19(月)
この国の指導者は、「断章取義」がお好きのよう。
「信なくば立たず」(孔子)と言ったかと思えば、今度は、「義を為すは、毀を避け誉れに就くに非ず」(墨子)ときた。これでは、ついでに「一知半解」という言葉も彼には献上した方が良さそうである。
特に今回のイラク派兵について、「墨子」を引くのはまさにそのことを露呈している。「墨子」が「非攻」を唱えたことをまさか知らないわけではあるまい。「墨子」が無理なら、せめて、その思想を映画化したとも考えられる(あくまでも私の考えだが)チャップリンの「殺人狂時代」でも見て欲しいものである。
墨子は次のように述べている。
殺一人,謂之不義,必有一死罪矣。若以此説往,殺十人十重不義,必有十死罪矣。殺百人,百重不義,必有百死罪矣。當此,天下之君子皆知而非之,謂之不義。今至大為不義攻國,則弗知非,從而譽之,謂之義,情不知其不義也,故書其言以遺後世。若知其不義也,夫奚説書其不義以遺後世哉?
(いま一人の人を殺したとき、これを不義といい、必ずや 一つの死罪があてられる。もし、この道理をすすめてゆけば、十人を殺せば十の不義を重ねて、必ずや十の死罪が適用される。百人を殺せば、百の死罪となる。こうして、天下の君子はだれでもそれを知って非難し、それを不義という。ところが、いま、他国を攻撃するという大きな不義を働く者については、それを非難することを知らず、かえってそれに追従して誉めたたえて、これを義であるといっている。他国を攻撃するのが不義であるということを、本当に知らないのである。だから、(攻撃をすすめるような)ことばを書きつらねて、後世に伝えるようなこともするのである。もしそれが不義だとわかっているなら、どうして、そのような不義を書きつらねて後世に遺すことがあろうか。)
墨子が主張したのは他でもなく「兼愛」と「非攻」である。墨子を引くなら、そのことを心すべきである。なお、チャップリンはその「殺人狂時代」によって、レッド・パージによりアメリカを追放されたことも歴史的な事実として知る「べし」である。