1998/06/23/(火)

きのう/ きょう /あした


演歌とフォーク
「ハーバード」とは全く關係のない話で恐縮だが、ついでだから書いてしまう。少し前に「心の歌」について觸れたが、フォークやニューミュージックの原点も、本當はボブ・ディランとかビートルズではなくて、演歌かも知れないと感じている。例えば、次の2つの曲を見てみる。

  • どこかに故郷の香を乘せて、入る列車の懐かしさ
    上野はおいらの、心の駅さ
    くじけちゃならない人生が、あの日、あれから、始まった

    ホームの時計を眺めていたら、母の笑顔になってきた
    上野はおいらの、心の駅さ
    仕事はとっても辛いけど、胸にゃ、でっかい夢がある

  • ラッシュアワーが疲れを吐き出してる 人の多さまでがもの珍し氣に見えて
    東京駅地下道の人ごみの中 ひと群れの制服の娘達がいる
    眞新しいスーツケースを提げて 集團就職で今着いたらしい
    妙に腰の低い男が先頭にたって 何とか會社の旗など振り回している
    (中略)
    どうですか東京って奴に會ってみて
    どうですか東京って奴の御挨拶の仕方は
    みんな押し黙ったままのこの人ごみは
    そうこれが都會って奴のご挨拶の仕方なんだよ
    (中略)
    今はまだ驚いていることだけですむけれど もうすぐ判るさ驚かなくてすむさ
    駆け引きのうまい男ばかり出世して きれいな腹の男はもう拗ねてしまってる
    これから君は日曜日だけを待つんだね 悲しみの唄がなぜ街に流れるのかも判ってきて
    使うのに容易く稼ぐのに辛い そんな給料の苦さも知ってしまうんだろうね
    今度君が故郷に歸ってゆくまでには 親に語れない秘密のひとつやふたつは
    できてしまって嘘もついてしまうんだね 騙された男のことはきっと話さないだろうね
    (中略)
    制服が人ごみの中に消えてゆくのを 振り返りながらぼくは見送っている

初めのはお馴染みの(と言っても若い人は知らないか)「ああ、上野駅」だ。集團就職で、多分、東北の田舍から出てきた人を、演歌には珍しく「明るく前向き」に歌ったものだ。ただそのメロディーはどこか「哀愁」が漂っている。もう一方は吉田拓郎の「制服」という歌だ。歌詞はひょっとしたら岡本おさみかも知れない。東京という大都會に憧れて出てくる人々を、都會の醜さを知ってしまった人の目でストレートに表現している。拓郎も廣島から東京に出てきたわけだが、やはり都會を捨て切れていない。曲も歌詞もどことなく「暗い」のだが、これをアコスティックギターとブルースハーフでやると實にいい。そして、間奏でブルースハープで流れる曲が實は「ああ上野駅」の間奏のそれなのだ。モチーフもそうだが、間奏の曲も同じというのは單なる偶然とは思われない。拓郎のどこかに案外、井沢八郎のこの曲があったように思われる。フォークやニューミュージックの人達が、このところよく美空ひばりや春日八郎、三橋美智也の影響を受けたと語っている。一世代前には「おくび」にも出さなかったことだ。それだけ、彼らが年を経て來たという證據でもある。「フォークの神様」と呼ばれた岡林信康などは、結構早くから美空ひばりを口にしていた。南こうせつもしかり。一つの時代を築いたアリスの堀内孝雄に至っては完全に演歌に「轉向」だ。大體アリスの曲は元々演歌に近い。谷村などの曲(たとえば昴やサライ)は美空ひばりに歌わせたらもうぴったりだ。小椋桂なども最近は「日本人の心」を強調する。ダウンタウンヴィギヴィギバンドの宇崎竜童も「太鼓」をよく使うし、阿木耀子とのコンビでの山口百恵シリーズは彼の代表的作品である。ただし、彼らの曲はいわゆる完全な演歌の曲想とは異なっている。演歌が肌に沁み込んでいても、一方でビートルズやボブ・ディランなどの要素を取り入れた。和洋折衷である。だから時には「大曲」にもなり得たように思う。その代表作が美空ひばりの「川の流れのように」であろう。もちろん、演歌の側も同じである。最近のヒットメーカーの一人である弦哲也などがそうである。都はるみの「千年の古都」や石川さゆりの「天城越え」は非常にスケールの大きな曲である。しかし、演歌は餘り洋樂に擦り寄らない方がいいように思う。「千年の古都」や「天城越え」は確かにいいが、どこか「肩が凝って」「疲れる」のだ。背伸びし過ぎている。船村徹などの曲はいいのだが、疲れてしまう。浜圭介の「舟歌」あたりが丁度いい。その點、昔の古賀メロディーは違う。素直な曲の展開なのである。シンプルこそベストである。「もしも明日が」(昔、「わらべ」が歌ったもので「四季の歌」と同じ作曲家であるが、今、名前をど忘れした)などがその典型であろう。香西かをりの「流れ草」を聞いた時、これは演歌と違うなと感じた。聞く側の豫想を裏切る曲の流れなのである。(豫想を裏切る音の取り方と言えば、「つんく」もそうだ)坂本冬美などとは違った路線のようである。案の定、彼女はその後玉置浩二の歌を歌った。長くなりそうなので、今囘はこの邊りにしておくが、要するに演歌もフォークも同じ日本人の曲ということ。でも、「あんた、アメリカで何やってるの」と言われそうだ・・

ところで、また歌詞を載せてしまったが、これはやはり著作權に引っかかるのだろうか?もし、「まずい」ということでしたら、削除したいと考えていますが、ご意見をお聞かせ下さい。

【午前】

朝食後、東西研に頼んでおいたマイクロが屆くかも知れないと、暫く待ったが、郵便屋さんが來ないので、大學へ。今日は、昨日出來上がったマイクロフィルムを少し見る。1880年の文法書だが、この時代によくここまで記述していると感心する。馬氏文通よりも18年も前だ。ヨーロッパ人の文法研究史あるいはヨーロッパ人の文法學説史が書かれる必要があると感ずる。お晝はサイエンスセンターで。

【午後】

晝食後、昨日MITのメーリングリストに入っていた中國人經營のパソコンショップに行ってみる。ハーバードから歩いて約20分。でも、何もなし。Coopの本屋で書籍を注文。完全にオンラインである。コンピュータで欲しい書籍を探し、そこに注文者の名前と住所を入力しておしまい。日本の本屋はここまではいってないのでは?今日からサマースクールが始まり、またキャンパスに活氣が出てきた。

【夜】

メールチェック。
ホームページの更新、その他

【今日の食事】

朝食:トースト、ジュース
晝食:サラダ盛り合わせ、バナナ、チキンバーガー、コーヒ
夕食:ミートローフ、サラダ、麺麭、ジュース


3/28-5/31にしたこと

  • 「イソップ中國語飜譯小史」(仮題)初稿(約32,000字)

今日コピー(全巻)したもの

  • なし

パソコン關係

  • 今日もLAのパソコンショップに幾つか電話で「Newton Massagepad2100」の在庫を聞いてみたが、やはりどこにもないようだ。

【アメリカでの連絡先】

Keiichi Uhcida
C/O Mrs.Barbara
27Daniels St,Arlington,MA 02174,USA

or

Keiichi Uchida
Department of Asian Languages and Civilizations
2 Divinity Avenue,Cambridge,MA 02138,USA


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