日教組教育研究集会での講演に関して

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  この度は各方面にご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした。この件について、教育委員を退任するに際して、やはり説明責任を果たしておくべきであると考え、以下、簡単に説明をさせていただきます。
  先ず、今回は吹田市教育委員ということではなくて、あくまでも関西大学教授という身分で講演をお引き受けしております。演台での垂れ幕もそのようになっています。ただ、もちろん、内田慶市個人の属性として吹田市教育委員というのは切り離すことは出来ないものでありますから、資料等から聞き手、読み手は、いかようにも解釈できることになります。マスコミの取り上げ方はまさにそれでありました。彼らは関大教授というよりも、話題性、読者へのインパクトなどから、教育委員の方をメインにすることを選択したわけで、それも致し方のないことだと思っています。(このことは、閣僚の靖国参拝と同じであって、公人か私人かの区別はなかなか難しい部分を含んでいます。)毎日新聞以外はすべて「日教組の研究集会に教育委員が参加したこと」に世間の目を向けたかったのでしょう。それも、一つの判断、立場ですが、そこに実はジャーナリズムの本質が示されています。読者に何を伝えたいかが問われるのです。 
  しかしながら、仮に百歩譲って、私が吹田市教育委員として講演したとしても、それを問題視する動きが一部の議会関係者や右翼にあったことを私は非常に残念に思っています。
  私が今回、日教組研究集会での講演を引き受けたのには幾つか理由があります。
  もちろん私は日教組の組合員でもなければ、私が日教組を支持するか否かと今回の講演とは全く無関係のことがらです。また、日教組と教育委員や教育委員会との関係は、一種の「労使関係」的な部分があって、むしろ、立場は全く逆なわけですが、それでも、ともに「教育」にたずさわっているという点では共通点もあるわけです。そして何よりも大切なことは、主義・主張や立場が違っても、考えを異にしても、お互いが自由闊達に意見を述べ合い、議論を闘わせることは民主主義の「イロハ」、根本原則であり、あるべき健全な姿だと思っています。物事を初めから色眼鏡で見て、立場や考え方の違うものを排除するというスタンスを私はとりません。
  教育委員の中立性に問題があるとされていますが、教研集会に参加することが中立性を侵すとは思っておりません。それは参考に付しました今回の講演の内容をお読みいただければわかることですし、むしろ中立だからこそ、右であれ左であれ、どちらにも参加できるのだと考えています。
  特に今回の講演は「学力と教育格差」というテーマでした。これについては、昨年度の吹田市教育委員会主催の教育研究大会でも特別講演が開かれたこともありますし、現在の教育の重要な問題であるはずです。日教組がこの問題に対してどのような考え方をしているのかを知ることは、今後の教育施策を考える上でも重要なことであると私は思っています。なぜなら、彼らもまぎれもなく現場の教師の集団であり、そういった人たちの意見を教育委員は知るべきだと私は考えているからです。更にまた、現場の先生方は、教育委員会制度やその改正等にあまり詳しくはないはずで、教育委員会制度の根本なども説明しておく機会があればとかねがね思っていたことも講演を引き受けた理由の一つになります。
  なお、そもそも講演ですから、主催者側の意図や彼らの都合のいいように話すのではなく、あくまでも主体は講演者にあることは至極当然のことであります。
  いずれにせよ、講演の内容よりも、日教組の研究集会に教育委員が参加したことが記事になり、議会の一部や右翼の側から問題にされるような状況は、この国の民主主義の未熟さの現れのように思います。この国では未だ本当の民主主義が根付いていないのだと思います。民主主義のあり方そのものが問われていると言っても過言ではないでしょう。
  重ねて申しますが、主義・主張、立場、意見の違うものが、自由に意見を闘わすことは民主主義の原則です。異なる意見を排除したり、ましてや、それを恫喝や脅しによって封殺しようとするのは何をか況んやです。ファシズムに他なりません。このような風潮が吹田市にも、しかも若い世代に見られることを危惧するものです。
  なお、新聞報道では私の橋下知事への批判が大きく取り上げられていますが、これについては、すでに昨年「私の視点」(朝日新聞)でも公にしていることであり、今更という感じです。しかも、たとえば、「分権を語る資格はない」の部分は、その前に「学力調査の結果の公表非公表を予算配分の踏み絵とするやり方は明らかに地方分権の精神を否定することにつながるものであると考えます。都道府県が国から相対的に独立して行政を行うことが求められているように、教育委員会においても同様であるべきなのです。都道府県の教育委員会と市町村の教育委員会とは対等の立場で相対的な独立機関でなくてはならないのです。地方教育行政改正でもそのことは唱われているはずです。彼がそのような発言をした時点で、今後、彼には地方分権を語る資格など一切ないのです。」という話の流れの中での言葉ですし、大阪府教育委員の陰山氏への批判も、「百ます計算の実践、実績は高く評価した上で、ただ、教育に求められるものは、それだけではなく、自己実現の力と」という話が前にあってのことであることをご理解いただきたいと思います。
  今回の件で、色んな立場の人から意見を頂いております。多くは私の言動を支持して下さる人が多かったのですが、中でも、フィンランド在住の日本人の方からのお手紙には、こういう人も居てくれているのだと、勇気をいただきました。ちょうど、抗議に来られていた右翼の人(教育再生地方議員百人と市民の会事務局長)との面談の日でしたのでなおさらでした。

  以上、今回の件についての簡単な申し開きでありますが、よろしくご理解賜りますようお願いいたします。
  なお、ご参考までに、今回の講演内容及び代表的なメディアの報道等を付けさせていただきました。