1998/09/17/(木)

中断前の日記(7月最終分)へ


きのう/きょう/あした


カルチェ・ラタン

フランスでは、パリ国立図書館よりも、ルーブルよりも、ベルサイユよりも、私には本当は一番行きたい所があった。「カルチェ・ラタン」である。8月20日この夏2回目のパリで、ようやくそれが実現できた。
一人でソルボンヌ大学近くを散策し、何気なく入った「カフェ・ソルボンヌ」でコーヒを飲みながらふと見上げると、そこには、例の「五月のパリ」の古ぼけた写真が数枚飾られていた。折しもこの日はアメリカがアフガニスタンとスーダンに報復攻撃をした日でもあった。「赤い血を流し、泥にまみれながら、この五月のパリを、人は生きている・・」思わずこの歌を心の中で口ずさみながら感慨に耽ってしまった。
カルチェ・ラタンを見たからどうなるものでもない、カルチェ・ラタンが一体何だ、そう人は言うかも知れない。確かにその通りなのであるが、でも、私にとっては、そこに居ることこそ大事だったし、大げさに言えば「今を生きる」ことを実感する証でもあった。数々の青春を見つめてきたカルチェ・ラタンは今も確かにそこには実在した。

【午前】【午後】

今日は1日あることを調べていた。ロバート・トムの兄弟の手紙にあった、トムの「写真」の件である。その手紙には次のようにある。
Looking at the engraving of the Treaty of Nanking (from Platt’s picture) Mr.R.Thom’s portrait will be observed. He is the only European who is represented sitting at the Table.
この「南京條約」締結の際の写真を探していたのだ。鄭振鐸の「中国歴史参考図譜」や各種「歴史図譜」、また日本で出ている「中国の歴史」の類などにも、1枚その写真があるのだが、どれも、「誰が撮したもの」かを示していない。多分、この写真で間違いはないのだろうが、「Platt」が撮ったものかどうかが知りたいのである。今日はこれで1日がつぶれたが、明日ももう少し調べてみるつもり。

【夜】

メールチェック。他。

【今日の食事】

朝食:トースト、コーヒ
晝食:チキンバーガー、クロワッサン、コーヒ
夕食:ビーフシチュー、パン、サラダ、コーヒ


3/28-5/31にしたこと

  • 「イソップ中國語飜譯小史」(仮題)初稿(約32,000字)

6/1-7/10

  • 「イソップ中国語訳の系譜」(約40,000字)

今日コピーしたもの(マイクロを含む)

  • なし

パソコン關係

  • NewtonのBig5 Text Encordingが1.1.1にUpgrade.このNewton用CLKは結構バージョンアップをするようなので、こまめにチェックが必要かも。

【アメリカでの連絡先】

Keiichi Uhcida
C/O Mrs.Barbara Marchese
27Daniels St,Arlington,MA 02174,USA

or

Keiichi Uchida
Department of Asian Languages and Civilizations
2 Divinity Avenue,Cambridge,MA 02138,USA


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