1998/09/29/(火)

中断前の日記(7月最終分)へ


きのう/きょう/あした


語学テキストについて

だいぶ前にも少し触れたことがあるが、先週から始まったESLのテキストを見て、日本の中国語テキストについて感じていることを述べておきたい。
「味より量」のコーヒはご遠慮願いたいが、ことテキストに関しては、こちらの方が「質、量」共に日本を上回っているように思う。今、私の出席しているESLのクラス(週2回、各1時間半)で使われているテキストは2冊であるが、どちらも200ページ以上ある。先日、購入したラテン語の教科書などは、実に400ページを超している。ハーバードで使用されている中国語のテキストも、どれも分厚いものである。近代のヨーロッパの宣教師達が編集した中国語のテキスト、たとえばウエードやマティアーなどのものは百課以上から成っている。ウイガーなどになると、それが何分冊にもなるのだ。どうやら、「テキストは厚いのがよい」と言うのが、欧米の伝統かも知れない。
一方、日本の、特に中国語テキストの情況はと言えば、ここ数年、とみに質が低下している。反論される向きもあろうが、今日は敢えて言っておきたいと思うのだ。「軽少短薄」という言葉がぴったりである。しかも、毎年出版されるテキストの数と言ったら凄いものである。「資源の無駄」と断言してもよい。多色刷りで、綺麗な写真やイラスト入りのテキストは見ているだけで楽しくはなる。それも確かに必要なのだが、中身が伴わなければ、ただの「画報」になってしまう。薄くても、必要な項目が網羅されていればよい。しかし、そうはなっていない。「厚ければ」「長ければ」いいとは言わないが、ある一定の内容を教えるには、それなりの量が必要なのだ。
「よく言うね。じゃあ、お前さんの編集したテキストはどうなの?」と言われそうだが、「漢語指南」は、多くの不備を残しながらも、それを意識して編集したつもりである。だからこそ、冗長過ぎる「はじめに」を附したのである。もちろん「時代遅れ」を強く感じながら。
またこれは、「テキストは業績とは見なさない」ということにも起因するのかも知れないが、多くのテキストは、参照したはずの先行テキストについて全く触れていない。ひどいのは、出典さえも示さない。モラルも何もあったものではない。「安易」過ぎるのである。テキスト編集とは本来、蓄積と労力を要するものなのである。
要するに、安易に学ぶ側に妥協して作られており、また「コニュニカティブ」とか「実用」とかいう言葉に惑わされて、語学教育の本質を見失っているのである。あるものを「我がもの」とするには、それなりの「苦しみ」が必要なのだ。CD-ROM教材とかCAI、CALL等のコンピュータを使った教育を提唱する以前の問題がここにはある。
一世代前のテキストは、確かに殺風景で、面白くはない。でも、どこかに「編者の思い」が感じられると思うのは私だけであろうか。
(この項に関する反論は大いに歓迎します)

【午前】【午後】

午前中、サイエンスセンターでこれまでの「日記」を印刷して見てみる。ただ、プリントアウトに非常に時間がかかるので、途中でキャンセル。
昼食後、まずHoughton Libに行って、昨日のBayerの「Museum Sinicum」(1730,2Vol)のマイクロ代を聞く。$165ぐらい。少し高いが、注文。その後、燕京図書館へ。今日はオリエンテーションということで、私も居合わせたついでに拝聴。四時過ぎ帰宅。バーバラさんがカナダから戻ってきた。

【夜】

メールチェック。他。

【今日の食事】

朝食:コーンフレーク、トースト、コーヒ
晝食:燕京定食
夕食:チキンスープ、サラダ、コーヒ


3/28-5/31にしたこと

  • 「イソップ中國語飜譯小史」(仮題)初稿(約32,000字)

6/1-7/10

  • 「イソップ中国語訳の系譜」(約40,000字)

今日コピーしたもの(マイクロを含む)

  • なし

パソコン關係

  • PB2400cのマザーボードをアメリカに送ってもらうのは無理なよう。仕方あるまい。

【アメリカでの連絡先】

Keiichi Uhcida
C/O Mrs.Barbara Marchese
27Daniels St,Arlington,MA 02174,USA

or

Keiichi Uchida
Department of Asian Languages and Civilizations
2 Divinity Avenue,Cambridge,MA 02138,USA


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