ハーバード日記(北京・香港編)

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3.9


  • 昨夜はホテルの下でバイキングにしたが、いやはや香港の若い女性達の食欲には圧倒される。私なんかもう見ているだけ。それに香港は生ガキや刺身類を結構食べるところだ。ただ私は少し恐いので遠慮している。
  • 昨日、香港中国語文学会の事務所で新しい中国語のソフトを見せてもらった。DOSでもWindowsでも動作して、聲調付きピンインも自動的に付加されたりする。ただ、それもそのソフト上でのこと。この辺りが私には好きになれないのだ。
  • 今日は午前中は香港大学へ。10時過ぎから「学術演講會」(えらくたいそうなことになってしまった)ということで1時間ほど中文系の先生、学生、院生を前に話す。質疑応答も結構あって、まあまあ。講演後、ある先生から私と同じような内容の論文を紹介される。読んでみると確かにほぼ同じ様な感じ。ただ、その論文は明らかにある人の論文を元にしている。というか、ほぼ「ぱくり」と言ってもよい。中国ではよくあることだ。
  • 中文系の主任からは現在進めているプロジェクトについて意見を求められた。明代以降の「西学東漸」関係資料の電子化である。これが実現すると非常に便利になるが、問題は資料の選択と、どのような形で入力するかである。句読点を入れるか、注釈を付けるか等々。私としては、「原資料」のままが、どのようにでも加工できるから有り難いし、何よりも電子化の「目的」を明確にすべきだという意見を述べておいた。今後、更に意見を交換する予定。しかし、何はともあれ、喜ばしいことである。ドイツでも同じ様な試みはすでに始まっているし、私たちも「六合叢談」をすでに入力済み。面白いことになってきた。
  • 昼食は香港大学の先生方と「飲茶」。いやあ実に美味しかった。
  • 午後は「基督教文藝出版社」へ。幾つか面白い本に出くわした。
  • 今回の香港は滞在期間が短かったが、それでも香港中国語文学会や香港大学中文系の研究者と中身の濃い交流が出来たように思う。
  • 明日はいよいよ最後の訪問地、台北に向かう。私の在外研究期間も残すところ3週間余り。


3.8

  • 昨日、14:40の中国南方航空で香港へ。託送荷物は28kgオーバーで超過料金。まあ、仕方あるまい。飛行機はジャンボなのに、座席が非常に狭い。通路も人がすれ違いもできないくらい。食事はまずくはないが、一番困ったのはコンピュータが使えないこと。香港での講演の準備をしようとパソコンを出すと、「機内では使用は禁止されています」と注意される。隣にいたアメリカ人が「なぜ?問題ないはずなのに?」と不思議な顔をしている。欧米やアメリカでは離陸と着陸の時だけは禁止だが、それ以外は大丈夫。日本も同じだったと思う。中国はどうやら全面禁止。しかし、航空会社はパソコンの機器に対する影響の因果関係を明確に示すべきではないか。たばこと肺癌の因果関係と似ているようにも思うが、本当にパソコンは飛行機の機器に影響を与えるのだろうか?
  • 夕方6時過ぎ香港着。新空港は今回が初めて。九龍や香港島まで結構な距離だが、日本の「はるか」みたいな列車で香港島までそれほど時間はかからない。香港中国語文学会の姚徳懐主席が出迎えてくれた。ホテルは学会事務所の隣。
  • 夕食後、ホテルでさてメールでもと思ったが、バッテリ切れ。コンセントの形状が違うので充電できない。アダプタを持っていたのだが、北京で友人に全部あげてしまった。香港も中国と同じかと思っていたのが間違いだった。電話線のジャックはイギリスのものと同じ。これはちゃんと用意してある。
  • 今朝は姚氏と一緒にホテルで朝食。バイキングだがさすがに「食在香港」。中身が豐富。その後、語文学会の事務所へ。そこのパソコンが中国語のメールの送受信に難ありということで見てみる。RichWinでやればほぼ問題ないことがわかる。しかし、沈さんからのメールは英語なのに変なコードが混じっている。これは恐らく送信側の問題。
  • この語文学会は「詞庫建設」や「語文通訊」などを発行しており、上海語文学会とも深い交流のあるところ。復旦の許宝華先生もよく来られているようだ。事務の人に連れられてアダプターを購入。これでパソコンも問題なく使えるようになった。
  • お昼は、姚氏ともう一人学会の胡百華氏、それに事務の人の4人で。世間は狭いもの。胡氏は香坂先生と長い交流があるとのこと。
  • 北京では何故か私のVISAカードカードは破損しているということで使えなかった。これは困ったと思っていたが、昼食の時に先生方に聞いてみたら「香港だったら使えるかも」ということで、試してみると、その通り。どうやら北京のカード読み取り機の精度の問題のよう。これで一安心。
  • 午後は、ホテルで明日の講演の準備。その後、九龍の中華書店などを散策。
  • 今日の香港は小雨。気温は20度くらい。それにしても、レストランや食べ物の店が多い所だ。


3.6


  • 北京のインターネットアクセスは実は非常に簡単で便利である。ある特定の電話番号とID、Passwordが用意されていて、そこに接続すればおしまい。ID、Passwordは全て共通である。経費は電話代に含まれるとのこと。一種の公用プロバイダである。電話番号とID、Passwordが同じというのも面白い。たとえば、番号が123ならIDもPasswordも123である。自宅からでも職場からでも皆、誰でも手続きなしで使えるのだ。ただ、ホテルの内線からはどうしてもつながらない。たぶんホテル側が経費の関係でその番号の発信を制限しているのではないかと思う。
  • 今年の北京は暖冬のよう。毎日10度以上はある。ボストンから来た私としてはコートも必要ないし、大助かり。
  • 昨日、韓氏から新著「中国活字印刷史」を頂いたが、これは好著。また共著者の張秀民氏が韓氏の叔父と聞いてびっくり。張氏は印刷史研究の大御所であるが、血は争えないというところか。
  • 北京に来てから、どうも朝早く目が覚める。寝るのが早いわけでもない(大体1時頃)のに、4時頃からもう目が覚めてしまうのだ。年のせいだけであればいいのだが・・。
  • 午前中は自然科学史研究所へ。そこからメールを送受信しようとするが、何故かうまくいかない。メールサーバーがおかしいよう。その後、王さんと西単の北京で最大の書店へ。ホテルみたいに大きな本屋である。ただ、広すぎて本を探すのに苦労する。それにしても、これだけ沢山の本が出ているとは。このところ新刊本や語学関係書はご無沙汰だったが、新刊本も馬鹿に出来ない。いい本が結構出ているのだ。
  • 遅めの昼食は家庭料理の店で。こういう店が私は好きだ。メニューになくても欲しいものを作ってくれる。ただ、出来上がったものは予想してたのと違ったりもするが。
  • 明日は午後2時過ぎの飛行機で香港へ。北京では王さん始め自然科学史研究所の人達に本当にお世話になった。また色んな意見も交換できて収穫は大きかった。


3.5


  • 昨夜は四川料理を囲んで話がはずんだ。中国科學院自然科学史研究所の王揚宗氏、韓[王+奇]氏、あとお二人、それにゲッティンゲン大学の阿梅龍氏、そして私の6人。何故、社会科學院でなくて、しかも自然科学史研究所かと不思議に思われるむきもあるかも知れない。しかし、私たちが今やっている仕事は社会科學院よりも、こういう自然科学史とか歴史学と非常に関連があるのだ。私が中国語学の研究を始めたとき、更には10年前に学術振興会から呉語研究で復旦に派遣された時から考えると「随分、遠くまで来てしまった」という感じもするが、これも一種の宿命であろうし、決して道をはずれたとも思っていない。若い頃にやろうと思ったことは、今もいつかやりたいと思っているし、今やっていることと全く無関係でもない。ただ、今はこれに集中したいと考えている。
  • 王さんと韓はいずれも関大に短期、長期で外国人研究者の身分で来られた方。日本以外にもフランスやドイツでも研究活動に従事されたことがある。他のお二人はドイツに長期滞在。阿梅龍氏もあちこち出かけておられる方。ハーバードでも実に多くの中国からの研究者とお会いしたが、まさにそういう「時代」なのだということを実感する。
  • 韓[王+奇]の話では、私がスペインのマドリッド国立図書館からマイクロを撮った、例のCoboの本はなんと影印されているとのこと。今日見せてもらうことになっているが、彼らの情報収集力は凄いものだ。そういえば、ハーバードにこういう本やコピーがあるはずだという情報を王さんからも何度か頂いていた。後生畏るべし。
  • 午前中、研究所に寄り、北京図書館の紹介状を頂く。また韓氏から例のCoboの本を拝見。その後、灯市口の中国書店をのぞいてから北京図書館へ。臨時閲覧は単に紹介状を見せるだけで簡単に利用できる。善本室で見たい本を探すが全くなし。どうやら、ここには私が見たい本はないようだ。少しがっかり。
  • お昼は図書館近くの「徳川家」という日本料理屋に入ってみた。入って思わず笑ってしまった。4,5人のいかにも田舍から出てきたような若い女の子が、顔におしろいを塗って、品の悪い和服でお出迎え。しかも、「ボン」と太鼓を鳴らすのだ。お昼だからいいものの、些かいかがわしい感じのお店。流れる曲がまたいい(?)。「愛染かつらの歌」。「可愛いお前が、あればこそ。辛い浮き世も何のその・・」。テープが伸びているのか、音がかすれている。変な店だった。
  • 道で「5角もらえないか」とか「私は河南から娘を捜しに出てきている。饅頭のお金をめぐんでもらえないか・・」といった人に出くわす。芝居か本当かわからないが、こういう場面に出くわすと、困ってしまう。周りの近代的な建物や、立派な道路、しゃれた洋服を着てさっそうと闊歩する若者達が増えている中で、やはりこういう現実もあるのだ。何故か悲しくなってくる。
  • 北京図書館では収穫はなかったが、瑠璃廠では思わぬ出物に出会う。「地理問答」「博物新編」「西医略論」「婦嬰新説」「内科新説」「譚天」「地理初[木+光]などなど。他にも「幾何原本」「重学」「代数術」「代数備旨」「数学理」「積微遡源」等もあったが、それらは今回は買うのを思いとどまった。瑠璃廠の5軒の中国書店の人達は皆、「やあ、久しぶり」と声をかけてくれる。それに乗せられて思わずというわけでもないが、それにしても「ある時はある」のだ。
  • 夜は、ハーバードで一緒だった日本の中国人と、同行の元名大の先生とかと食事。


3.4


  • 昨日(3/3)、何とか北京にたどり着く。「何とか」というのは実は色々わけあり。下記の通り。
  • 3/2アムステルダム夕方4:30のKLM865便ソウル行きに乗り込む。託送荷物が重量オーバーのため、中身の本を半分ほど機内持ち込みにして切り抜ける。ただ、一つのスーツケースのキーをなくし、本を出せなくて困惑していると、フランス人の人が七つ道具でキーを開けてくれた。座席は、カウンターでこの件で「ごねた」せいか、2階の一番後ろの、手荷物が沢山置ける席にしてくれた。10時間の長旅だが、隣の席が空きで、広いスペース、食事もなかなかよい。ちなみに、3/3の朝食メニューは、「シリアル、パンケーキ、ヨーグルト、フルーツサラダ、チーズ盛り合わせ、クロワッサン、コーヒ、生ジュース・・」である。前日の夕食もステーキ等等。
  • 3/3現地時間10:30ソウル着。さて、これから多くの難関が待ち受けていた。
  • 先ず、荷物がなかなか出てこない。ようやく出てきて、北京行きの手続きをしようと2階に上がると、そこは国内線。4つの重い荷物をもって、シャトルバスで国際線ロビーへ。(なか、ソウルの空港にはエレベータが2台しかないうえ、エスカレータではワゴンが使えないという、「とんでもない」空港)
  • さて、Air Chinaのカウンターで搭乗手続きに入るが、「このビザはダメですね。北京に行けません。もう一度ビザを取り直して下さい」と言う。確かにビザの期限が切れている(2/29まで)。ビザはボストンの中国旅行社で取ってもらったのだが、こんな不始末とは・・。でも、チケットは購入してあるし、何とかして北京まで行かなければならない。Air
    Chinaの中国人スタッフと方法を相談。ちょうど、科學院からの「招請状」を持っていたので、これで何とかならないか頑張る。ようやく、「じゃあ、北京に着いてから空港のビザ発行所で相談して下さい」と言われ、ようやく飛行機に乗れた。託送荷物はやはり重量オーバだったが、一つは手荷物でよいと言われ、出国手続き。ところが、いざ搭乗という最終段階でまたまた一悶着。そこにいるKorean
    Airlineの係りが、手荷物が大きすぎるから、超過料金を払えと言うのだ。「下ではいいと言われた」と頑張るが、「この飛行機に乗るか乗らないのか」と迫られる。仕方なく「幾ら?」というと、「40000ウオン」。でも現金は20ドル以外は全く持ち合わせていない。カードはダメと言うし、財布を見せると「これでいい」となけなしの20ドルを抜き取る。40000ウオンなら40ドルだが、結局彼らは幾らでもよかったのだ。
  • 北京までは1時間半のフライト。しかし、私以外は全て韓国人の客だったが、実に雰囲気の悪い機内だった。一昔前の日本の「農協ツアー」そのものである。やたらと動き回るし、スチュワーデスの手は触るは、「何だこいつらは」という感じである。飛行機が空港に着くやいなや、全員立ち上がって降りる準備。まだ所定の位置に止まってもいない段階である。中国人もこういうところがあるが、韓国人はそれ以上である。ソウル空港の設備の「お粗末さ」と言い、わけのわからぬ手荷物チェックと言い、韓国はまだ「近代国家」とは到底言えないのではと思えるくらいである。
  • 北京ではビザの発行もうまくいった。係りが非常に親切。昔の中国とは雲泥の差である。追い返されたらどうしようと些か不安があったのだが、まずは「めでたし」。空港には科學院の王さんが迎えにきてくれた。タクシーで「京倫飯店」へ。この時期、北京はホテルが安くて大助かり。ツインの大きな綺麗な部屋だが、1泊4700円。夕食は疲れたのでホテルの日本食レストランへ。でも、ここは私の一番嫌な場所だった。ほとんどの客は日本人。しかも私の嫌いなタイプの日本人。2度とここでは食事はしないつもりだ。アメリカにも日本食レストランは多いが、中国のそれと一番違うのは、客の中身である。アメリカでは日本人は意外と少なく、アメリカ人が多いのだ。中国では日本人がほとんど。つまり、値段の問題なのだ。同じ日本円の1000円といっても、中国とアメリカでは重さが違ってくる。
  • 今朝は頭痛と吐き気。朝食を食べるが、どうも調子がよくない。王さんと10時に研究所に行くつもりだったが、取りやめて昼過ぎまで横になる。どうやら昨日汗だくになったので、風邪を引いたよう。
  • 午後、体調も少し回復したので、遅めの昼食。ホテルの1階で。ここのサービスはとても良い。「ちょっと風邪気味」と言ったら「じゃあ、軽いものがいいですね。鍋焼きうどんなんかがいいんじゃないですか」と言う。久しぶりのうどんだが、いける。2年ぶりの北京だが、一層サービスが良くなっている。この後、タクシーで灯子口の「中国書店」へ。しかし、そこまで凄い渋滞。北京は今も大改造中。そのせいもあって空気が非常に悪い。中国書店は2年前よりも広くなっていた。書店がどんどん消えていく中(東単と隆福寺の中国書店は今はもうない)で、これは大健闘と言ってよい。昔は入れてもらえなかった倉庫なんかも、自由に見せてくれる。しかも、出てきた経理とその部下が「どういう本をお探しか」と聞いてくれる。インターネットにホームページも開設しているし、これから古書目録も電子メールで送ってくれるとのこと。見本も送るから、その中から選んでもらってもいいとのこと。昔は考えられなかったことだ。便利になったものである。恐らく本の値段は上がるだろうが、「隠さない」ところが気に入った。日本の中国関係の本屋はここまでいっていない。大体、日本の本屋だとマージンが入るから高くなる。こういうような方法を採る中国の本屋が増えてくると、きっと日本の本屋はますます影響を受けるだろう。私たちにとっても有り難いことではあるが。
  • 6時頃、中国科學院自然科学史研究所へ。ゲッティンゲン大学の阿梅龍も加わって夕食。この日記もそこから送信の予定。


3.1

  • 昨日も、お昼はこれまで通り、ハーバードに出かけていた。午後、家に戻り、バーバラさんの娘さん夫婦から電話をもらった時は、さすがに胸がつまった。ただでも、うまく表現できないのに、ましてやこういう時にはしゃれた英語は出てこない。「これまでの全てに感謝する」「きっと又お会いしましょう」「お元気で」ぐらいしか言えなかった。でも、私の気持ちはきっとわかってくれただろうと思う。孫娘からも置き手紙。バーバラ一家には本当にお世話になった。バーバラさんは空港まで送ってくれるつもりだったようだが、臺灣の先生が家まで迎えにきてくれたので、玄関先でお別れ。彼女は気丈なところがあって涙を見せようとしない。私も涙は見せまいと思っていたが、どうもダメ。「身体に気を付けて」と言っているのだが、言葉にならない。「日本までの道中は長いから気を付けて」とバーバラさんに見送られて空港へ。
  • お昼過ぎからボストンは雨。臺灣の先生が「遣らずの雨」ですねと言う。そうなのだ。「下雨天、留客天」である。
  • 19:10発アムステルダム行きNW38便に乗り込む。今回の世界一周切符はビジネスクラスにして正解だった。ボストンーアムステルダムでも5時間はかかる。ビジネスクラスだと座席も寛いし、食事もいい。少し高いが長丁場だから、この年になるとエコノミーでは身体がもたない。
  • 3月1日現地時間8時半頃アムステルダム到着。ボストン時間なら夜中の2時半頃だから、6時間損をした感じ。空港のインフォメーションでホテルを予約。雨も降っているので、空港近くのホテルにする。ホテル到着後、夕方4時頃まで横になる。市内には少し遠いし、天気も良くないので、今回はホテルで大人しくしているつもり。
  • ヨーロッパではiij4uのローミングが張りめぐらされているので、通信には不自由しない。
  • 斎藤さんのページを見ていると、MacでUNIXを使う環境がかなり整いつつあるようだ。帰ったら私も挑戦してみようと思っている。それにしても、齋籐さんの「稿債の返却」の気持ちはよく理解できる。斎藤さんも3月生まれだったことに今日初めて気が付いた。
  • 明日は夕方4時過ぎの便で、ソウル-北京に向かう。10時間以上の長旅である。
  • 新しい旅はすでに始っている。
  • 夕食はホテルで「舌平目のムニエル」ほか。夜食にハム・チーズトーストとコーヒ。12時過ぎまで開いているので便利である。しかも、美味しくて安い。アメリカとは随分違うと思う。






 【日本の連絡先】

Keiichi Uchida

3-3-35,Yamate-cho

Suita-shi,Osaka,564-0073,Japan



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