1998/09/18/(金)
カルチェ・ラタン(2)ー友と呼べれば
昨日の続きということでもないが、カルチェ・ラタンの喫茶店で一人コーヒを飲みながら学生時代のことやその頃の友のことを思い出していた。「昔はよかった」とか言うつもりは毛頭ないし、「過去」に縛られて生きるつもりも全くない。が、確かに一つの「時代」ではあったと思う。何かにつけ喫茶店に入り、「社会がどうの」とか「ヘーゲルがどうの」とか、果ては「人生」まで語ったものである。今から思うと「滑稽」ですらあるが、そういう時代だったのだ。もちろん、いつの時代でも若者はそういうものだろうし、またそうあって欲しいと思う。
大学時代の友はさほど多くはないが、まさに「友と呼べる」彼なども、このカルチェ・ラタンを見たら私と同じ感慨に耽ったのではないかと思う。彼とは大学で第2外国語としての中国語の時間に知り合った。その後、数々の行動を共にして(時には彼女よりも私達の行動を優先させたりした)、今日までに至っているが、そんなに屡々顔を合わせるわけでもない。でも、時たま会ったりしても違和感はない。彼は教師志望だったが、採用されるのは「デモシカ」ばかりで(そうでない人も沢山いることは承知している)、結局彼は別の仕事を選んだ。今考えると教師にならずに正解とも言えるが、一方で彼なら今の「情況」にどう対応するか見たい気も時々する。それにしても、彼のような人間を教師に採用しない社会はやはり「どこかおかしい」のだ。現在のような情況はすでに、その頃からあったと考えるべきであろう。自分の頭でものを考えず、権威に媚びへつらい、他人の痛みをわかろうともしない人間、つまり「良い子」「優等生」に教育なんて出来やしないのだ。でも、彼も私もすでに40も後半。いつまでも、こんな事を言っていても始まらない。現在の持ち場で精一杯生きていくしかないのだ。そんなことを思ったりした。
【午前】【午後】
今日も1日David Thomの手紙に出てくる文献探しで明け暮れた。「Journal Asiatique(Paris)」や「The Foreign Quaterly Review」といった雜誌にThomの著作の紹介記事が載っているのだ。JulienやBazinといった当時一流の中国学者がそれを書いている。やはりRobert Thomというのは「並みの中国学者」ではなかったということである。まだ、見つからない資料がいくつかあるが、ゆっくり探していこう。
午後、キャンパスに警官が目立つようになり、Widener Libの前には沢山の椅子が並べられている。周囲は縄が張られてチケットかHarvard IDの提示を求められる。何事かと思ったら、マンデラ氏との「Special Conversation」があるとのこと。クリントンも今ボストンに来ているので、クリントンとの「対話」かと思った。聞かずに帰宅。
【夜】
メールチェック。他。
【今日の食事】
朝食:コーンフレーク(バナナ入り)、コーヒ
晝食:燕京定食
夕食:スパゲッティー(クラム入り)、サラダ、コーヒ
3/28-5/31にしたこと
- 「イソップ中國語飜譯小史」(仮題)初稿(約32,000字)
6/1-7/10
- 「イソップ中国語訳の系譜」(約40,000字)
今日コピーしたもの(マイクロを含む)
- なし
パソコン關係
- 特になし
【アメリカでの連絡先】
Keiichi Uhcida
C/O Mrs.Barbara Marchese
27Daniels St,Arlington,MA 02174,USA
or
Keiichi Uchida
Department of Asian Languages and Civilizations
2 Divinity Avenue,Cambridge,MA 02138,USA