白い本ー35年の重さに

きのう/きょう/あした


2003/11/13(木)

これは道浦母都子氏の朝日新聞2003年11月8日の夕刊「文化」欄のタイトルである。
実は僕もこの本(注1)の存在が気にかかっていた。
ある日の新聞の新刊案内でこの本の出版を知って以来、三卷からなる分厚いこの本を書店で何回か手には取ってみたものの、購入までには至らなかった。しかし、どこかでやはり気になっていた。そんな時、道浦さんのこの文章を読んだのである。そして、世の中には、あの当時の「情況」を自分の心の中で、今もしっかりと持ちこたえている人も確かに存在することを確認できたのである。

何も変わっていない。
ゆったりと流れる季節の移ろいや自然がくり返す四季の営みは、三十五年前と何ら変わってはいない。
けれどーー。
たましいが兵器を越えしベトナムを神話のごとく思い出すなり
ベトナム戦争が終結し、その感慨をこうした歌に託してみたが、場所やかたちを変えた国と国、人と人との争いは、いまだもって終わることを知らない。

道浦氏はこのように書いているが、昨日の「つれづれの記」に記したように私も全く同感である。
ただ、道浦氏が引く山形氏の書評は私も読んだし、ほぼ賛同できるが、山形氏の書評の中で一つだけ気に入らないことがある。それは、氏があの頃の運動を「全共闘騒動」と呼んでいることだ。でも、あれは「騒動」でもなければ「紛争」などでもない。「全共闘運動」であり、「大学闘争」なのである。これだけは私はどうしても譲れない部分である。
あれを「騒動」とか「紛争」で片づけられたのでは、たとえば、『わが解体』(高橋和巳)の箱に載せられた「一つのメッセージ」(注2)のO君を初めとして、あの頃倒れた多くの青年や、今もあの頃を背負って生きていく人々は浮かばれないであろうし、「人知れず微笑みたい」と言って死んでいった樺美智子などは永遠に「微笑む」ことはできないであろう。

ところで、道浦氏の

<世界より私が大事>簡潔にただ率直に本音を言えば

の歌は、そのような運動、闘争をある意味では超越した、諦觀した言葉とも言えるが、一方では、肩の力の拔けた、ある意味では爲政者にとっては、より扱いにくく、不気味な表現とも言えるだろう。 それは、「私が大事」という言葉の意味が、「自己中心主義のそれではなく、ちっぽけな自分に、いま居る自分の場所で、何ができるかを考えてみたい」ということだからである。
「いま居る場所で、何ができるか」という道浦氏の問いかけは、あの頃を生きてしまった人々がすべて自分に問いかけ続けていかなければならないもののように思われる。

(注1)この本とは『磁力と重力の発見』(みすず書房)であり、著者は山本義隆である
(注2)O君の詩とは、以下のものである。
我々の死は未来の一つの暗黒であろう
我々の生もまた未来の一つの暗黒であろう
忍辱を負うた生を一点の微光<未来の薄明>の彼方へ投げかえさなければならない。
存在したものは全て許されない
存在するものは全て許されない
全ての存在を收斂するこの時から
一切の悪は償われなければならない
”敵こそ救われなければならない
死者の声こそ暴露されなければならない
” 人の心のゆるい反転のこの時
雨が地の糧であるように闘いが心の糧であるのではない
何びとも命の哀しみに言葉で答えてはならない
行路病者に一杯の水を与えようとも
兄弟を「人類愛」で買うことをやめよ
我々が赦されてある閉ざされた闇は
そこに住まうことによってすら拒絶されてある
現在の暗黒は未来の暗黒によってすら弾劾されるだろう。
たとえ人は、変らず、変らず人は暗黒に沐浴し、命を養うとも。