求めよ、さらば開かれん

きのう/きょう/あした


2003/11/21(金)

最近、立て続けにこれまでずっと搜し求めていたものが手に入った。しかも、全くの偶然。
一つは『語言自邇集』の底本である、應龍田の著作。應龍田の著作のうち『問答篇』は以前に京大にあることが高田時雄氏のご教示でわかっており、複写していたが、もう一冊の『登瀛篇』は高田氏も所在についてはつかんでいなかった。これが、ひょんな所からその所在が明らかになり、昨日、海外からCD焼き付けで手元に送られてきた。
もう一つは、何群雄氏が、その書名については触れていたが、それもこれまで所在が全くつかめなかったものである。これは、言ってみれば「瓢箪からこま」「棚からぼたもち」というところ。実は、上述の本のコピーを依頼した時に、ついでに面白そうなものを一緒にコピーを頼んであったのだが、中身については全く期待していなかった。で、上述の本をCDでみた後、他のものも、一応見ておこうとファイルを開いた途端、思わず目を疑ったのである。「あれ、この書名は確か??」と、何氏の本をすぐに開いてみると、まさに、その本である。先の本も、この本も恐らく世界で実際に目にした人はこれまでいないはずである。
ほんとに、こんな嬉しいことがたまにはないと、やっておれないというものである。
これまでにも、このようなことは結構経験しているが、今回の喜びは格別である。それにしても、それらの本が、向こうから私に「見て下さい」と言ってきてくれたのだと思わざるを得ない。そして、このような事例がこれだけ重なってくると、やはり、聖書の「求めよ、さらば開かれん」は案外「真理」のように思えてくるから不思議である。
確かに「偶然」ではあるが、どこか「必然」なのだという気がしている。