黄昏の「べし」

きのう/きょう/あした


2004/01/10(土)

道浦母都子はかつての60年代後半から70年代を『憂鬱なる党派』の巻末エッセイ(河出文庫)の中でこう表現した。
その「べし」を象徴する作家こそ高橋和己であり、彼や道浦氏をがんじがらめにしていたものは、その「べし」の思想であるとする。彼の小説が陰気で鬱陶しいのは、彼の小説に登場する人物たちの多くが、「べし」にふり回され、その犠牲となった人たちだからというのである。
そして、その頃に道浦氏が詠んだ歌こそ、以下のものであった。

明日あると信じて来たる屋上に旗となるまで立ちつくすべし

しかし、それから29年を経て詠まれた歌は次のものであった。

<世界より私が大事>簡潔にただ端的に本音を言えば

これを道浦氏は、「べし」の呪縛から解放された歌と述べている。さらに、そのような今の時代に読み返す高橋和己の小説に対しては以下のように言うのである。

小説を読むという行為はもっと読者の心情を爽快にさせたり、清々しくさせたり、愉快にさせたり、そうあるべきはずのものだ。だのに何だ、これは。読んでいるうちにどうしようもなく胸苦しくなり、気分が暗く陰鬱になる。本来、人間を豊かに澄明にするべき文学が、こんなに人を不幸な気持ちにさせてよいのか。

さらには、ロープシンの描く『蒼ざめた馬』や『黒馬を見たり』が今読んでも、心うち震えるような喜びを与えてくれることと対比させながら、次のように言い切るのである。

和己の小説にそれを望むのは、無いものねだりとは思うが、今の私が、心震う一行すら、彼の小説の中に見いだせない

確かに、道浦氏の言うことは当たっている。あの時代が「べし」の時代であり、それも情緒的な「黄昏色」の「べし」の時代というのは同意できる。悲しいくらいまでの「べし」の時代であったのだ。
でも、私の場合は、それでもなお、「べし」はいつの時代でも、ある部分においては「必要」なものではないかと思っている。「べし」のない時代は萎えた時代ではないのだろうか。そして今がまさにその時代のような気がしてならないのである。
そもそも「べし」の時代を否定する道浦氏すら、上記の「小説を読む」という行為を「べし」で表現してしまっている。文学がそのようなものである「べし」というのは、一つの「思想」である。「べし」がなくなれば、「思想」もなくなるはずである。
70年代は、「べし」が「はびこった」時代であったことは私も認める。しかし、繰り返すが、人はこうある「べし」、社会はこうある「べし」、善意はこうある「べし」、正義はかくある「べし」、生きるとはこうある「べし」・・と誰もが一度は振り回される「べき」ではないのだろうか。