こんな日は演歌がいい

きのう/きょう/あした


2004/01/16(金)

こんな日は演歌がいい

今日は午前の10時40分から夜の6時半過ぎまで延々と会議が5つ。
帰宅して食事の後も明日の博論試問のために、論文を2つ再読。
ほとほと疲れたが、こんな日は演歌がいい。
丁度、チャンネルをひねるとBSで「にほんの歌」の再放送中。
久しぶりに「愛染かつら」(西条八十作詞、万条目正作曲)を聴いた。何故か心に沁みてくる。

花も嵐も踏み越えて
行くが男の生きる途
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡を 一人行く
・・・・・・
・・・・・・
愛の山川 雲幾重
心ごごろを 隔てても
待てばくるくる 愛染かつら
やがて芽をふく 春が来る

この歌はおそらく私が亡き母から教わった最初の演歌かも知れない。
小さいとき、母はいつもこの歌を口ずさんでいたように思う。
それ以来、私は母から何百という歌を教わった。何百とは大袈裟だが、百曲、二百曲は下らないと思う。
学校にも行けず、結婚後も3人の子供をかかえて、その日暮らしの駄菓子屋を営んでいた母が唯一の楽しみとしていたのが、歌だったのだ。
苦しくても、悲しくても、歌を歌って明るく生きていたのだろう。
そして、母がこの歌の中でよく一番歌っていたのが2番の歌詞だった。

優しかの君 ただ独り
発たせまつりし 旅の空
可愛い子供は 女の命
なぜに淋しい 子守唄

アメリカに居る時に、演歌が心の歌と悟ってしまった私だが、歌が好きで、楽観的な生き方ができるのも母の影響に違いない。

五木ひろしの「浜昼顔」も久しぶりに聴いたのだが、これは寺山修司の作詞だったのだ。
なるほど、彼らしい、彼にしか書けないような詞である。

家のない子の する恋は
たとえば瀬戸の 赤とんぼ
・・・・・・・・・

ところで、インターネットでこの歌を何気なく検索してみると面白いことがわかった。
作曲は古賀政男であるが、これがこれまでに別の曲として2回も出ているのだった。
最初は、「さらば青春」(佐藤惣之助作詞)というタイトルで藤山一郎が、2回目が青木光一の歌として「都に花の散る夜は」(丘十四夫作詞)という歌であるらしい。そう言われれば、懐メロ的な曲風であり、私の歌いやすい曲の流れになっている。世の中にはこういうこともあるのである。