風姿花伝

きのう/きょう/あした


知らない
風のその姿を
花が伝える
風のその姿を

 「時」も同じだが、「風」も目には見えないもの。でも、人は「風」を感じることができるし、「見えない風」を見ることができるのだ。
 その「風」の姿を伝えるのが、花(おそらくは「散る花」)だというこの歌を聴いたのは、もう5.6年も前である。それから、ずっとこの歌が気にかかっていたし、その曲をもう一度聴きたいと思っていた。
 これは実はアニメ映画三国志のテーマ曲であって、偶然そのアニメを見たとき、しびれてしまった歌なのだ。作詞・作曲・歌は谷村新司。ただ、この曲はこれまで彼のアルバムには何故か収められておらずに、DVDだけに入っていたので、手にすることは出来なかった。最近ようやく7枚組のCDが発売され、その中にこの曲が入っているのを知り、その1曲のためだけに、\18,000もするCDを注文した。
 曲のタイトルは「風姿花伝」。
 「風姿花伝」とは世阿弥のいわゆる花伝書であるが、このタイトルの付け方もなかなかのものである。
 それが今日届いて何度も聴いているが、目に見えないものを、見る「すべ」を持っている人の素晴らしさを改めて感じている。
 それにしても、そんな本来「しなやかで」「のびやかな」心を持った人間が、どうして「かたくなで」「ちじこまった」人間になってしまうのだろう。自分の通った大学を卒業したかどうかを確かめに外国まで行くなどという「たわけた」ことをする人間までいるのだから。

 ところで、先日、「浜昼顔」について書いたときに、寺山修司の歌詞をとんだ間違いをして覚えていたようだ。

家のない子の する恋は
たとえば 瀬戸の赤とんぼ
・・・・・

と書いたが、とんでもないことでした。本当は、

家のない子の する恋は
たとえば 背戸の赤とんぼ
・・・・・・・

でした。何故「瀬戸」なのかなと不思議に思ってはいたのですけどね・・。
隨分前にも、変な覚え方をしていた歌詞がありましたが、結構、こういうことってあるんですよね。その時にも書いたかも知れませんが、うちの子供が小さいときに、「こわい蟹」の歌を歌ってと言ったことをまた思い出しています。これは「こは、いかに?」(浦島太郎でしたかね??)というものでした。