旅立つ我が子へ

きのう/きょう/あした


2004/03/19(金)

旅立つ我が子へ

小さい時から、だだをこねたり、むずかったりしない子だった。
欲しいものがあっても、素直に「あれが欲しい」とか「これが欲しい」とは言わない子だった。
中国の幼稚園でもたった一人で中国人の中に混じり、言葉も分かるはずはないのに、それでも、けなげに笑顔を見せていた子だった。
まずいマントウとスープを、それでも精一杯美味しそうに食べてみせる子だった。
いつもどこかで遠慮したり、人の気持ちを考える子だった。
そして、そんな中にいつも、どこか淋しさや、悲しさや、憂いさえも秘めていた子だった。

そんな子も、明日は大学を卒業していく。

親として僕は彼に何をしてきたのだろうか。
親として僕は彼に僕の何を見せてきたのだろうか。
親として僕は彼に僕の何を与えようとしてきたのだろうか。

きっと何もしてこなかったし、してやれなかった。

それは僕が彼よりも僕自身を最優先に考えてきたからである。
それは親としておそらくは失格なのだろう。
そのことを彼は恨んでいるだろうか。

でも、僕はそのことを後悔はしていない。
後悔したところで今更どうなるものでもないし、これが僕の生き方なのだから。
ただ、彼が親になった時、僕をどう評価するか、それだけはその時に聞いてみたいことである。

親がなくても子は育つ。
知らぬ間に彼も一人前の大人になっていたのだ。
彼が制作にたずさわったという大学の卒業アルバムを見て、そのことだけは確信できた。
親としてではなく、一人の人間として、彼の作品を見た時、そのことを確信できるのだ。
卒業に当たり、これだけは言ってやりたいと思う。

「よくぞ、ここまで」と。

もちろん、これは単なる初めの一歩に過ぎないものである。
これからの長い人生、自分の足で自分の道を一歩一歩切り拓いていって欲しい、それが親として、旅立ちの日にあたって、彼への唯一の希望である。

人の前に道はない。道は歩いて出来るもの。

そして、中文の卒業生に贈った言葉を彼にも贈ることにする。

誰のようにも生きられず、誰のようにと生きもせず。