また会おう!
2004/03/26(金)
今夜は先日卒業したばかりのゼミ生との夕食会。彼女たちとは、卒業式前にもゼミ旅行で飛騨古川へ行ってきた。これだけ何度も集まりを催すのは珍しいことである。
福井大学に勤めていた頃は、1年中ほぼ毎日学生と一緒だったが、こちらに来てからは余りそういう気持ちは起こらなくなっていた。自分の研究を生活のリズムの中心に置き換えたことが最大の理由ではあるが、学生の気質の違いからくる一種の戸惑いからでもあったように思う。
教師とかには変にへりくだったり、下のものには偉そうぶったりで、若さを感じられないからであった。これが都会の若者なのかと思ったものである。
確かに、教師とか親とか年上の人への最低限の敬いというのは必要であるが、だからといって、自分を蔑む必要は全くない。もっと、堂々と振る舞って欲しいものである。自分を主張したらいいのである。
ただ、それは教師の側でも同様で、学生に対して妙に威厳を振りかざすのがこちらに来て最も目についたことであった。
僕は学生に対して「君たちは」とか「諸君は」と呼びかけるのが苦手である。というより、嫌いと言った方がいいだろう。教訓を垂れるのも大の苦手である。自分にそこまでの自信がないからでもある。でも、自分の生き様を素直に見せることには抵抗はない。どのみち、この「自分」しかないのだから。
そんなわけで、今年度みたいに学生としょっちゅう顔を合わせる機会を持つことは実に久しぶりのことなのである。そういえば、院生との合宿もそうである。福井にいる頃は、学生や一般の人を集めて、魯迅の読書会を毎週夜開いていたが、こちらに来てからは、そういう読書会なるものも意識的に避けていた。今年度は合宿も2度やったが、こういうものもやはりいいものだったのだ。自己規制する必要はないのだ。あるがままでいいのだ。
ゼミ生も来週からは、それぞれの新しい暮らしが始まる。会社に勤めるもの、婦人警官になるもの、中国の事務所で働くもの、様々である。それぞれの「持ち場」で頑張ってくれるものと信じている。またの会う日を楽しみにしながら、僕もまた「日常」に戻っていく。人混みの中に消えて行った彼女たちの未来に幸多かれと祈りながら。