花の命
2004/04/01(木)
今日から4月。
桜も満を持してその短い命を知らぬかのように咲き始め、まさに春爛漫。
明日あると 思ふは人の あさはかさ 今を盛りと 咲く花こそ清し
今日は入学式で大学もまた新しい息吹を得て、活気を取り戻している。
昨日と今日が特別変わったわけでもないのに、人は何故か、月の初め、特に1月とか4月はそれを「特別」な日と思いこむのだ。「心の持ちよう」とはこういうことなのだろう。
でも、それも「よし」とする。
夜は子供が借りてきていたDVD「光の雨」(立松和平原作)を見た。
あさま山荘事件に至るまでの連合赤軍のリンチ殺人を描いたものである。
以前から一度は見ようと思っていたが、あれからもう30年以上の月日が流れたのだ。
彼らの行動を「狂気」とか「幼稚」とか「幻想」とか「殺人に変わりはない」などと言うことは簡単であるし、「そういう時代」と片づけることも簡単である。しかしながら、同時代を生きてしまった人間にとって、彼らの行動はやはりそれだけではすまされない「何か」があるのだ。この「息苦しさ」は一体何なのか。
今の僕に言えることはただ一つ。僕にはもちろんのこと、今の若者にも彼らの行動を批判する権利だけはないということである。