池田大作氏にもの申す
2004/04/05(月)
本日の毎日新聞に「私の教育改革論」として創価学会名誉会長の池田代作氏の文章が掲載されている。
「子供を救え」という(私もよく引く)魯迅の言葉に始まるこの文章は、現状分析、教育の目的、教育の本義等々、ほぼ同感できるものであり、正鵠を得たものと言うことが出来るだろう。
いま、子供の命がおびやかされていること。
教育の目的とは「子供の幸福」であること。
この教育力こそ、暴力の萬延をくい止め、生命の尊厳を確立する根源の力であること。
教育のラテン語である「エデュカーレ」の語源が「引き出す」「導き出す」ことであり、若き生命の持つ可能性を引き出し、前向きに生きゆく力を導き出す教育環境の構築こそ、暴力への衝動を内発的に抑制していく確実な道であること。
関わりこそ教育の命であること。
教育の本義は、人間らしく互いに学び、尊敬し合い、ともに幸福への知慧を湧きだすことであること。
そして、日本でも各地で、この「対話」と「非暴力」の教育の波を、力強く起こしていくべきことを述べた上で、日本は「教育立国」の明確なビジョンを掲げて、平和と人道の攻勢に転ずる時を迎えていると結んでいる。
ただ、確かに池田氏の論は正論であり、私も異議を差し挾む余地はないのであるが、それでも、「ちょっと待った!」と言わざるを得ないのである。
だったらお尋ねしたい。池田氏の下で政治活動に従事している輩は一体どういうことなのかと。
「対話」と「非暴力」を自ら捨て去ったのはどの党なのか。
池田氏の論とその党派の主義主張とは全く別のものというのなら話はまだわかるが、そうではないだろう。池田氏の正当な教育論、人間論があったとしても、実際にその党派の取った行動はそれと相反するものではなかったのか。
もし池田氏の論を仰ぐのならば、今回のイラク派兵には身体を張ってでも阻止すべきではなかったのか。そうしなかった党員はまさに「除名」の対象にすらなるのではないのか。
また池田氏がもし、その党の行動を正当化するならば、それはまさに「言行不一致」であり、単なる空論に過ぎないものであることを証明するものである。
一度、池田氏本人にこのことをお聞きしたいものだと思っている。