「路は人が歩いて出来るもの」

きのう/きょう/あした


2006/02/02(木)

昨日から一般入試が始まった。その忙しい間隙をぬって、昨日は「Sayuri」を、今日はメイシアターで行われた「BS日本のうた」公開録画を見に行っていた。そして、夜は、韓国ドラマ「チェオクの剣」の最終回。定期試験の成績や、文科省への申請書類、締め切りの過ぎた原稿2本に、3つの博士論文審査報告書・・と仕事が山積みなのに・・。「Sayuri」は中国では上映禁止になったが、どう見ても、この映画が中国人を馬鹿にしたものとは思えない。Zhang Ziyiもよかったし、ミシェル・ヨーも桃井かおりも、渡辺謙もよかった。何よりも彼らの操る英語が素晴らしかった。
ところで、「チェオクの剣」の最終回で反逆者「チャン・ソンベク」の語った言葉が実は魯迅の「地上の路」なのだ。韓国でも魯迅が結構読まれているということだろう。チャン・ソンベクも「希望」を自分の後に続く者に託したが、今の時代、この魯迅の言葉もむなしく響いてしまう。
この国の政治に代表されるが、人は歩く人が多い方に流れていく。昨日まで「時代の寵児」ともてはやしていながら、次の日からは、「金儲け主義」の大合唱。右へ左へ、左へ右へ、とにかく「一緒にわたれば怖くない」である。路がいくつも出来てしまって、どの路を行けば分からなくなっているのだ。
だとしても、やはり「希望」は託さねばなるまい。それは、「人を食ってしまった」人にではなく、「人をまだ食っていない」人々にである。「人を食っていない」人はいるのだろうか。。