「教育委員会制度」(1)

きのう/きょう/あした


2007/01/07(日)

私には、退職まで一平教師を貫いた尊敬すべき一人の先生がいる。
中国語にも堪能で、その文章博学なこと比類無き人である。そんじょそこいらの、校長や教頭とは「レベル」が違っていた。
学生時代からその先生にはお世話になったし、福井大学に勤めてからも、毎週、その先生たちと開いた中国語の読書会(魯迅を読む会)は、都会の恵まれた環境から離れた僕にとっての研鑽に欠かせないものであった。
「藤野先生」に出てくる「感到不安」の竹内訳に異論を唱えたのもこの先生であった、
「お世話になった藤野先生に不安を覚えるというのはおかしい」という疑問から、中国語の「不安」と日本語の「不安」の違いを指摘したのである。
先生はいつも「これまで私は生徒をたたいたことがない」とも言っていた。これも、この先生の一つの教育観である。
いつも生徒に先んじて便所掃除をしたり、校庭の草取りをしていたとも聞いている。
それでいて、かつての勤評闘争では、教育委員会と徹底的に対峙して、処分も食らっている人である。
その時の教育委員会の相手が、実はその先生の恩師であった(私の福井大学と大阪市大時代の恩師でもあるが)というのも面白い話である。そして、その恩師や私たちと、福井の地で10年間「聞く話す中国語講座」(毎年夏にNHK中国語講座の講師を招いて、全国から中国語学習者を集めた講習会)なるものを主催していたこともある。
すでに、退職されて10年以上にもなると思うが、毎年賀状をいただいている。
その先生の今年の賀状には以下のようなことが書かれてあった。

「いまの**県の教育長は全国一・二をあらそう最低教育長で、みんな途方にくれているようです。ウッちゃんに帰ってきてもらってやってほしい・・。」

確かに今の教育長がとんでもない輩であることは、教え子たちからも聞き及んでいるし、「東大や京大をめざす高校生のみを対象にした夏期講習会を開こ」うとしたことはメディアでも取り上げられたことがある。要するに、偏差値第一主義、競争主義万々歳なのだ。「いい大学」への合格率アップが教師たちへの至上命令となっており、おちこぼれは相手にしないという姿勢である。
我が故郷の教育がこのようであることは本当に悲しいことである。
しかしながら、ここにはもう一つ別の問題も存在している。
それは、教育再生会議でも議論の対象となっている「教育委員会制度」のあり方である。
故郷の教育委員会がまさに「形骸化」していることの現れである。
教育委員会を主宰するのは教育長ではなく、教育委員会委員長である。教育長は教育委員の一人にすぎないのである。
とすれば、教育長がどうであれ、それをチェックする他の教育委員が存在するはずであるが、教育長の暴走を止められないのは、それらの教育委員が本来の職務を果たしていないことに他ならない。
単なる地方の「名士」になりさがり、事務局の出してきた案を鵜呑みにする、そんな委員会になっているのだろう。そして、この国の多くの教育委員がそのようなものであることも事実なのだろう。
教育委員会制度の解体が叫ばれるのも無理からぬことである。
しかしである。
教育委員の本来の任務を思い起こしたとき、やはり、この制度は維持されなければならないのだ。
教育委員(会)の根本は「レイマンコントロール」にあると僕は思っている。
内部にあって外部でもある委員は、大所高所からものを言う、一種のチェック機関でもあるはずだ。
そして、最も肝心なことは、首長から任命され議会の承認を得るのであるが、それらからはあくまでも「独立」した機関であるということである。ある意味では、文科省からも独立していると僕は考えている。(この項続く)