言語とは「他と区別する」ためにあるもの

きのう/きょう/あした


2009/10/08(木)

「Takuro Premium 1971-1975」が届いた。
70年代のフォーライフ結成前の、拓郎のCBSソニー時代の曲を全部復刻したもの。
「Blu-spec CD」という高品質CDに焼いたものだ。
「元気です」「よしだたくろうLIVE’73」「伽草子」「Singles Collection」、それに「今はまだ人生を語らず-1」という5枚組である。
もちろん、LPも、以前に出ていたCDとしても全部持ってはいるが、「Ble-spec CD」ということで購入した。

ところで、「今はまだ人生を語らず -1」である。
この「-1」とは、元のLPとCDには収められていた「ある曲」が1曲収められていないので、「-1」としたものだろう。
その1曲とは、「ペニーレインでバーボン」
では何故この1曲が入っていないのか。
実は、これは今回だけでなく、1974年に最初にCD化されたが、すぐにその歌詞に問題ありということで、レコード会社はそれを「廃盤」にしたのだ。(従って、その最初のCDは当然、プレミアがつき、ヤフオクでは大体30000で取り引きされている)

[ペニーレインでバーボン]
時がたってしまうことを 忘れてしまいたい時があるよね
すべてのものがなにもかも 移り変わってはいるものの
何となく自分だけ意地をはり通して さからってみたくなる時があるよね
*そんな時 僕はバーボンを抱いている
  どうせ力などないのなら 酒の力を借りてみるのもいいさ
こうして今夜も原宿ペニーレインで 原宿ペニーレインで飲んだくれてる
  ペニーレインでバーボンを
ペニーレインでバーボンを 今夜もしたたか 酔っている
・・・・

<3番の歌詞>
テレビはいったい誰のためのもの 見ている者はいつもつんぼさじき
気持ちの悪い政治家どもが 勝手なことばかり言い合って
時には無関心なこの僕でさえが 腹を立てたり怒ったり
・・・・
問題の個所は「つんぼさじき」である。
この部分を担当者は自主規制したのだ。
拓郎自身も、その後、この部分を「みんな蚊帳の外」と置き換えて歌っている。

でも、これはやはりおかしいのだ。
差別は言葉を換えてもなくならない。それは意識、心の問題であるからだ。
それをこの国では「言葉狩り」で置き換えてきたのだ。
言葉の置き換えでは「内なる差別」はなくなりっこないのだ。
なんたる文化的貧困であることか。
言葉はそもそも、他者との区別の為に存在している。つまりは、言葉は最初から「差別語」なのだ。

今回、新しくCDが復刻されたので、元の歌詞として入っているかと期待していたのだが・・。
残念である。