尖閣ビデオ流出事件=ご都合主義

きのう/きょう/あした


2010/11/09(火)

この国の「情報公開」が実はご都合主義であることについては、以前、橋下知事の学力テスト公開云々の時に「私の視点」でも述べたことである。
今回のこの事件だって、本質は同じこと。
ところが、今回、不思議というか、ある意味では予想されたことではあるが、このビデオ流出を「義憤」として評価したり、「国民の知る権利」を盾に正当化しようとする動きが顕著なことである。
しかも、その論陣を張るのが、およそ情報公開や知る権利を政治的にしか利用してこなかった、石原や産経・読売などのエセジャーナリズムなのである。

曰く、「これは内部告発であり、誰もが知りたいことを公開したまで」(石原)。

しかしながら、これまで彼らは、誰でも知りたいことをすべて公開してきたとでも言うのだろうか。
国民の知る権利なんて、権力の前ではなしに等しいのだ。
国民が知れる範囲と、そうでない部分が確かにあるのである。
ある限度を超える時、「はい、それまでよ」なのだ。
だからこそ、密約を権力が自ら明らかにするようなことは決してないのだ。それゆえ「密約」と言うのだ。
つまり、自分たちの都合のいい部分だけしか公にしないのが、「政治」なのである。
それにしても、こうした機密漏洩や守秘義務違反が、「国益に適うもの」とか、「義憤」の名の下に「美化」される状況は実に危ういことであり、ご都合主義以外の何ものでもないのである。