メモ(2)
2011/04/15(金)
原発の放射能漏れも余震も相変わらず収まる気配はない。まだ当分かかるだろう。被災地の苦しみは続く。
そんななか、統一地方選の前半戦は民主惨敗、維新躍進、石原圧勝である。
そして、政治家どもやエセジャーナリストたちはこれも相変わらずの「菅おろし」にやっきである。今、誰に代わっても同じなのに。いや、むしろ、自分の言葉で語ろうとする今の菅さんや枝野さんの方が百倍もましなはずなのにである。
別に菅政権を積極的に応援しているわけではない。そもそも未だかつて選挙なるものを経験したことなどないのだから、どの党だって私には同じである。
それでも、小沢までが「菅おろし」を公にしたとなると、話は別である。結局、小沢も正体をさらけ出しただけであるが。この際、このような輩はみな自民に戻ったらいいのだ。
自民じゃ選挙に勝てないと思うなら、維新の会や、石原の腰巾着にでもなればいいのだ
そういえば、東京はもちろんだが、大阪の民度も知れたものだ。寄らば大樹の陰ならぬ、「橋下の陰」である。
「維新」やら「新選」やら、言葉に酔いしれて、ムードで突っ走る政治である。
それは、一方では「強さ」へのあこがれでもあるだろう。世はまさに「ファシズム」前夜である。
維新の会のメンバーの多くが参加している「100人の会」の事務局長が一体どういう輩なのか、市民は知るよしもないのだ。それが、反対意見を脅しで封殺する輩だということを。
いずれせよ、この未曾有の国難の時に、人の揚げ足をとったり、政権交代やら責任論を持ち出して一体何になるのか。
後手後手に回っている、情報公開が不足、指示がころころ変わる・・。こんなこと、当たり前のことである。それはたとえ自民党であろうと、公明党であろうと、誰がやっても同じ結果のはずである。未曾有の災害というのは、まさに文字通り「未曾有」なのだから。
そして繰り返し言うが、こうした原発を国策として先頭に立って推進してきたものたちこそ最もその責任を問われるべきなのだ。また、そうした施策に金で買われて容認してきた者たちも同罪なのだ。