No War ! No Nuclear !
2004/08/06(金)
昨年の8月6日の「ゲストブック」に僕は以下のことを書いていた。
原爆の日の朝、秋葉広島市長の「平和宣言」とこども代表の「平和への誓い」は胸を打った。それにひきかえ、小泉首相の中身のない、おざなりなあいさつ。ア メリカの力の支配に従属するしか能のない、この国の指導者の姿である。
子ども代表が述べた峠三吉の詩と、「正義の名のもとに戦争と紛争が繰り返され、私たちと同じような子どもたちが傷ついている」という叫びに大人たちは応える義務があるだろう。そしてそのことは平和宣言の中でも次のようにはっきりと呼びかけられていることで ある。
「世界中の人々、特に、政治家、宗教者、学者、作家、ジャーナリスト、教師、芸術家やスポーツ選手など、影響力を持つリーダーの皆さんに呼びかけます。いささかでも戦争や核兵器を容認する言辞は弄せず、戦争を起こさせないために、また絶対悪である核兵器を使わせず廃絶させるために、日常のレベルで祈り、発言し、行動していこうではありませんか。」
そして、今年もまた8月6日がやってきた。59回目の「原爆の日」である。秋葉忠利広島市長は今年も「アメリカの自己中心主義はその極に達している」と痛烈に批判し、日本の指導者に対しても「日本国政府は、私たちの代表として、世界に誇るべき平和憲法を擁護し、国内外で顕著になりつつある戦争並びに核兵器容認の風潮をただすべきだ」と主張した。
世界で唯一の被爆国である日本は、あらゆる戦争に「ノー」と言う権利があるし、秋葉市長を始めとする広島市民や長崎市民にはとりわけその権利が保障されるべきであり、この国の指導者やアメリカの指導者には、その発言に素直に耳を傾ける義務があるのだ。
秋葉市長の今年の「広島平和宣言」にある以下の言葉に対して、僕たちは「人」として今何を爲すべきかを自分自身に問いかけなければならないのだと思う。
「残念なことに、人類は未だその惨状を忠実に記述するだけの語彙を持たず、その空白を埋めるべき想像力に欠けています。また、私たちの多くは時代に流され惰眠を貪り、将来を見通すべき理性の眼鏡は曇り、勇気ある少数には背を向けています。」
この式典に参加したこの国の指導者にはこの平和宣言文はどのように聞こえたのだろうか?