通学路を守る緊急集会挨拶

 教育委員会を代表いたしまして、ご挨拶を申し上げます。
 今、この国の子供たちの命が危険にさらされています。この国の将来を担うべき子供たちの命が奪われ続けています。
 教育の根本は「子供」にあるのに、その子供たちが生きていけない時代になっています。
 子供たちの命を守れずして、子供たちを救えずして、何が「ゆとり教育」の見直し、学力向上でしょうか。
 そして、このような現状に対して、私たち大人たちは、未だ何ら有效な手だてを講じられずにおります。  さて、物事を論じる場合、あくまでも「原則」そのものに対してでなくてはならない、と推理作家のエドガー・アラン・ポーは述べています。「原則」をふまえなければ、それは場当たり的、対症療法に過ぎないものになってしまいます。
 もちろん、この危機的現状に対して、「原則論」だけでは、みすみす子供たちの命を見捨てることになってしまうこともまた事実です。
 今はなんとしても、緊急的な取り組みが優先されることになるでしょう。学校、家庭、地域が一体となり、身体を張ってでも、子供も守っていかなければなりません。具体的には通学路の安全の確保であり、大人たちの声かけ運動、見回り隊の組織など、考え得るあらゆる手段を講じる必要があるでしょう。  しかしながら、それだけではなお、根本的な解決には至らないと言うこともまた私たちは認識すべきだと考えています。そうでなければ、「子供100番の家」の中で殺人が起こったり、門を閉じ、警備員を配置した学校に不審者が侵入したり、盗難事件が発生したりするはずはありません。
 緊急的、具体的な取り組みを行う一方で、私たちは教育の原点に立ち返って、今の状況に対処しなければならないのだと私は思っています。

 「なぜ」このような事件が起きるのか、子供の時代を経た大人たちが「なぜ」子供を襲うのか。
 人には生まれながら「惻隠の情」があったはずなのです。「井戸に落ちた子供を見たときに、誰だって助けよう」と思う心を持ち合わせていたはずなのです。
 それが「なぜ」逆に子供たちを井戸に落とそうとするのか。
 この「なぜ」に答えを出さない限り、事件はこれからも起こる可能性があるのです。
 「人とのふれあいの中でしか人は成長できない」と言います。
 まさに人間と人間との血の通った熱いコミュニケーションの中で人は人として成長していくものなのです。「教育」とはその語源からも、そもそも「子供と大人のコミュニケーション」をベースに出来上がっているものです。
 そしてそれを私たち大人たちが無くしてしまったのではないでしょうか。今の状況はまさに私たち大人が作り出したものであり、社会が生み出したものであって、子供たちには責任はありません。  「心の教育」、すなわち、人への慈しみ、思いやりの心、優しさの心を取り戻す教育が今こそ求められなければならないでしょう。そのために、先ずは大人たちが、子供たちに優しい言葉をかけ続けなくてはならないのだと私は考えています。優しさを実感させなければ、人にも優しさを与えられないでしょう。  子供を守ると言うことはそういうことではないでしょうか。
 この集会を機に、私たち大人が優しさをもって子供たちを守っていきましょう。それが私たち大人の責任であり、また教育の責務でもあるのだと思います。
 「子供を救え」とは20世紀の初めに中国の文豪、魯迅が掲げたスローガンでした。その言葉を今、もう一度私たち大人のスローガンにしなければならないと思っております。
 本日ここにお集まりの皆さんみんなで手を携えて、先ずその一歩を踏み出しましょう。