林紓訳『伊索寓言』

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4-1 林<糸+予>訳『伊索寓言』

 本書は、林<糸+予>と厳復の姪の子、厳培南(字を潛)と長男の厳<王+據ーてへん>(字を伯玉)との共同訳であり(注1)、光緒29年(1903)に商務印書館から出版された。(注2)本文68葉、全部で295話を収める。文体は基本的には「文言」に属する。

 この飜譯の特徴は、原話の単なる翻訳ではななくて、訳者林<糸+予>の「読み」(「解釋」「評」)が付け加えられている点にある。それは、「畏廬曰」(畏廬は林<糸+予>の字)に現れる。

 たとえば、「狼と子羊」では、子羊を「群から離れた」と設定する以外、その後の展開もモラルも原話とさほど変わりはない。しかし、更に「畏廬曰」において、子羊を「弱國」に、狼を「強國」に喩えて「弱國の哀れ」を述べている。「狼と鷺」でも「凶人は殺人をもって利とする。なお強國の國を滅ぼすをもって利とするが如し」のように、狼を「凶人」「強國」に喩え、鷺を「弱國」に喩える。そして、「『邦交(=国交)』を結ぶ場合には、相手の腹の底まで探らないと最後には裏切られることにもなるから、むしろ、そのような国とは国交を結ばない方がましだと説く。「ライオンと驢馬」でも同じである。「凡そ大権を持つものには必ずや專享之利がある」とし、「弱國」は「獨立」を求めずに他の「強國との聯合」ばかり言っていると、驢馬と同じ運命になることは過去の中国での歴史が證明していると述べている。

 「蛙と牛」では、原話と話の筋道やモラルの解釋が些か異なっている。牛が池で水を飲んでいる時に、蛙の子を踏みつけて殺してしまう。そのことを他の子供から聞いた母蛙が「その怪獸の大きさは、これくらいか」と腹を膨らませて問うという所まではほぼ同じであるが、その後が違っている。子蛙は「もう、それくらいで止めておいたら」と母蛙の行動を止めようとするが、結局、腹は破れてしまう。そして、林<糸+予>は、このモラルを次のように説くのである。

 畏廬曰、母蛙固愚、勇氣足尚也、子蛙固智、學之適増長奴隷之性質

 つまり、母蛙の蛮勇を讃え、一方で賢い子蛙を「奴隷精神」だと批判しており、まさに当時の中国の状況を反映した林<糸+予>独特の解釋といえるだろう。

 林訳イソップには当時の「新語」と見なされるものが使用されていることも特徴である。たとえば、「牝牛とライオン」では、モラルに「団結」を説くが、そこでは「團體」という語彙がすでに使われている。「百姓と木」でも同様である。(注3)この他、林訳イソップに見られる「新語」として「行政、衞生、自治、文明、劇場、市場、公法、~之権」などが挙げられる。また、純粋な「新語」には入らないが、「自由、財政、徴兵、胎教、博愛、種族、自立、國權、論説」といった政治・経済用語等の「抽象語彙」の用いられる頻度がかなり高いということも特徴と言える。さらに「群學」という語彙に象徴されるように、厳復の影響も多分にあると考えられる。

 なお、「百姓と木」では、この話が実は中国にもあることに触れて、「年代から言えばイソップの方が古いが、ものの理には、襲わずとも同じ者があるとは、まさにこのことだ」と述べている。中国の話とは、以下に示す、5世紀東晋末から劉宋初期にかけての「阿豺」(注4)の「十九本の矢」の故事である。

 阿豺又謂曰、汝等各奉吾一隻箭、折之地下、俄而命母弟慕利延曰、汝取一隻箭

 折之、慕利延折之、又曰、汝取十九隻箭折之、延不能折、阿豺曰、汝曹知否、

 單者易折、衆則難摧、戮力一心、然後社稷可固、言終而死(「魏書」巻一百一・列傳第八十九・吐谷渾」)

 林<糸+予>は、「序」において、イソップを荘子と比較して、「寓言の妙は、吾が蒙荘には及ばない」としながらも、一方で荘子は難し過ぎて童蒙には余り役に立たず、むしろ「童蒙がそれを聞いて思わず笑ったりしているうちに、徐々に人の心の変化や、物事の道理を悟っていく」という点ではイソップが最適であると述べている。

 荘周とイソップの比較は「かしわとゼウス」にも述べられている。岩波訳では「かしわ」となり、林<糸+予>訳では「橡樹」(くぬぎ)となるこの話の展開は原話と同じである。すなわち、、植物の中で自分達だけが容赦なく切られることをゼウスに訴える「橡樹」に対し、ゼウスの答えは「お前達はそれをむしろ慶ぶべきだ。もしお前達が棟梁の任にたえられなくなれば、切られることもないのだから」となる。つまり「切られるのは自分が有用である証拠」というわけであるが、この話に対して林<糸+予>は次のように荘子を持ってくる。

 畏廬曰、荘生之喩櫟、主不用世、伊索之喩橡、主用世

 つまり、話の主旨は同じだが、荘子の「人間世第四」に登場する「櫟」(くぬぎ)が、大きく育ったのは「無用」の所以とされることと対照しているのである。

 中国の古典を引く例は「ライオンとプロメシウスと象」などにも見られる。ライオンは「周孝侯」(注5)に、鶏は「司馬<月+杉ー木>」に、象は「岳武穆」(注6)に、「飛蟲」は「秦檜」に喩えられる。そして、「千古の英雄が小人に屈するのは、周岳の二人だけではない。物理(ものの道理)の予測不可能なことは、ただ天意に委ねるのみである」と結論づける。

 神の名については、たとえば、『意拾喩言』で「北帝」と称された「Jupiter」は「木星」(「蛙が王を求める」)に、「佛」と訳された「ヘラクレス」は単に「神」に(「牛追いとヘラクレス」)、「<女+常>娥」と訳された「アプロディーテ」を「太白之星」あるいは「星精」(「牝猫とアプロディーテ」)と訳している。「ゼウス(=ジュピター)」を「木星」や「太歳星」あるいは「上帝」「帝」に、「ヘルメス(=マーキュリー)」を「水星」「水神」「水星之精」に当てているのがほぼ傾向として見れるが、「ゼウスとプロメシウスとアテナとモモス」では、「ゼウス」を「海皇星」に、「プロメシウス」を「太歳星」に、「アテナ」は「太歳星之女」というような混乱も見られる。なお、この寓話で「モモス」は「莫納室之神」と「音訳」が使われ、「オリンポス」は「質所」となる。「プロメシウス」はまた別の寓話(「ライオンとプロメシウスと象」)では「天帝」と称されるなど、ギリシャの神々の名称に関しては「訳語」に苦勞したことが窺える。

 いずれにしても、本書は林<糸+予>によるイソップによる「状況からの発言」とでも呼ぶべきものであり、当時の中国知識人のイソップの一つ「の読み方」を示しており、中国語訳イソップの流れの中で独自の位置を占めるものと言えよう。

(注1)当時、林は五穰学堂で教鞭をとっていた。(東爾「林じょ和商務印書館」『商務印書館九十年』1987)また林[糸+予]自身は外国語が出来なかったという。従って、翻訳においては必ず外国語の出来る「協力者」が必要であり、伊索寓言の場合は厳兄弟であったというわけである。韓1969には以下のように見える。

 林[糸+予]不[りっしんべん+董]外文,毎譯一書,必得有一個合作者為他口述。他自己用「耳受手追,聲已筆止」八個字來形容他的翻譯過程。他就用這個方式翻譯了一百多種小説,世稱林譯小説。(韓迪厚《近代翻譯史話》香港辰衡圖書公司出版 1969.2 24p)

(注2)ただし、初版の月は不明。馬泰來1981によれば、「美國加州大學東亞圖書館藏光緒二十九年五月四版」とあるから、初版は五月以前であることは間違いない。ただし、民国十一年三月十八版(ハーバード燕京図書館蔵)などでは「丙午年十一月初版」とあるし、商務印書館民国二十七年(1938)四月国難後第一版の刊記には「丙午年十一月初版」とある。つまり、後者は東爾1987でも言うように別の版本である。なお、本書は『譯書經眼録』でも以下のように紹介されている。

伊索寓言一卷 光緒二十九年商務印書館第四版本

希臘伊索著、林[糸+予]、嚴培南、嚴[王+嘘-口]同譯、伊索為希臘古時名士、距今二千五百年餘年、所著大半寓言、其説理新奇大、有裨於蒙學修身之用、近時歐西哲學輩出各本、創見立為師説、雖硯學如斯賓塞爾其重蒙學、仍不廢伊索之書、蓋正言荘論、不如詼諧之感人深也、譯筆修潔、間附按語、尤足醒目。

(『譯書經眼録』巻七-6b-7a)

(注3)馬西尼(1997)では「團體」を日本語起源の漢語として、『老殘遊記』(1903)第1囘が初出とする。(254p)

(注4)林では「阿柴」と表記。これは恐らく「西秦録」(崔鴻『十六國春秋』)に基づく。ただし、「漢魏叢書本」の『十六國春秋』にはこの話は収められておらず、後の『十六國春秋輯補』に以下のように見られ、それも『太平御覧』(巻第349,兵部80箭上)を引くとある。

 (建弘=筆者)七年、白蘭王吐谷渾阿柴卒、白蘭王吐谷渾阿柴臨卒、呼子弟謂曰、汝等各奉吾一隻箭、將玩之地下、俄而命母弟慕延曰、取汝一隻箭折之、延折之、又曰、取十九隻箭折之、延不能折、柴曰、汝曹知單者易折、衆則難摧、戮力一心、然後社稷可固、言終而卒。

 なお、同じ様な話は『元朝秘史』にも登場する。

 春間一日他母親阿闌豁阿煮着臘羊。将五箇児子喚来根前列坐着。

毎人與一隻箭幹教折折。各人都折折了。再將五隻箭[竹+幹]束在一處教折折呵。

五人輸着都折不折。・・・・・・     

阿闌豁阿就教訓着説。[Nin]五箇児子。都是我一箇肚皮裏生的。如恰纔

五隻箭[竹+幹]一般。各自一隻呵。任誰容易折折。[Nin]兄弟但同心呵。便如五

隻箭[竹+幹]。束在一處。他人如何容易折得折。住間。他母親阿闌豁阿歿了。

(巻一・光緒三十三年葉徳輝序本による)

 このことについてはすでに新村博士が次のように述べておられる。

「而して吐谷渾の故地も蒙古も中國から方角は略同一であるから、説話の由來は中國の北部又は東北部に出たと見做される。・・・自分の豫想では、更に西の方の民族から得た喩言ではあるまいかと思ふが、それは今後の研究で段々明かになって來るだろう。」(『天草本伊曽保物語』改造社 1928 旧版付録36-37p)

 新村博士は、この「矢の話」はヨーロッパ起源のように考えておられるように見えるが、案外その逆もあり得るのではと私は考えている。

(注5)晋の「周處」のこと。字は「子隠」、謚を「孝」。梁王<月+杉ー木>、すなわち司馬<月+杉ー木>と戦い敗れる。(『晋書』巻五十八・列傳第二十八)

(注6)南宋の「岳飛」のこと。「武穆」は謚。和平論者の「秦檜」に捕らえられ死罪となる。一方の「秦檜」は死後売国奴として悪名が高い。

<参考文献>

馬西尼 1979 「現代漢語詞彙的形成-十九世紀漢語外来詞研究」(黄河清訳、漢語大詞典出版社)

馬泰來1981 「林<糸+予>飜譯作品全目」(『林じょ的翻譯』錢鐘書等著 商務印書館)


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