「選挙」と「じゃんけん」
2004/03/08(月)
この世の中では、ある大事なことを決めたり、選んだりする場合に「選挙」という方法が採られることが多い。そして、この「選挙」というものが、一般的には極めて「民主的」な方法だと考えられている。
しかしながら、この「選挙」なる方法が「民主的」だとするのは「幻想」でしかない。他の人はどうか知らないが、少なくとも私はそう考えている。もっと言えば、「選挙」というのは、ある「見えない糸」に操られている場合が多い。つまり、最終的には個人の自由意思に委ねられるものとはいえ、所詮、或る種の「(選挙)運動」とか、「集票マシン」によってその結果が左右される場合がほとんどなのだ。予め「決まっている」ものに、「選挙」という「民主的」という方法によって、「お墨付き」を与える、そのような過程的構造を持つものと私は考えてしまうのだ。結局は「力」関係によって決定されているのに、それを「民主的」なる言葉で包み込んでしまっているのである。このことは、いわゆる「多数決の論理」と同じである。
それでは他に方法はあるかと問う人もいるかも知れない。方法はある。「じゃんけん」だ。何を戲けたことをと言われるのは承知しているが、「選挙」が一種の「茶番」ならば、「じゃんけん」も「茶番」である。でも、「じゃんけん」の方が明らかに「公平」「民主的」である。学生の頃、村田栄一氏の著作を多く読んだが、あの頃、村田氏が主張していたのもこの「じゃんけん」であった。いずれにせよ、昨今の「選挙」なるものに対しての私の基本的立場というのはこのようなものである。
話は変わって、先ほどのアカデミー賞主演男優賞のショーン・ベンのコメントは聴くに値する(もちろん、これも「投票」によって選出されているのだが・・)。
「大量破壊兵器が存在しないように、最優秀の男優なんて存在しないんだ・・」
この「批判精神」をこそ私たちは見習うべきなのだ。
<註>村田栄一氏の代表的著作には、『学級通信・ガリバー』『学級通信・この指とまれ』『無援の前線』『じゃんけん党教育論』などがあります。今では入手が困難になっているものも多いですが、将来教職に就こうと思っている人には是非読んでもらいたい本の一つです。また、当時、村田氏などと近い立場にいた人も身近に知っていますが、そのような人たちも今では「変貌」をとげていたりしますから、世の中、節を守るというのがいかに難しいことか考えさせられます。