「あずさ2号」
2005/05/09(月)
先週、安曇野に行ったことは記したが、以前からちょっと気になっていることがある。
それは、かつて狩人が歌ってヒットした「あずさ2号」のことである。
明日私は旅に出ます、あなたの知らない人と二人で、
いつかあなたと行くはずだった、春まだ浅い信濃路へ・・・
この「あずさ号」が新宿と松本間を走る特急だということは知っていたが、問題は、作詞家がなにゆえ「2号」にしたかである。
実は、JRなどの列車の番号は上りと下りで、奇数か,偶数に分けられているはずである。
これは世界中どこでもそのようであるが、先週も松本で確認したのだが、上りが偶数で、下りが奇数なのである。
ところが、この詞の内容は、僕のイメージでは「新宿から松本に向かう」列車でなくてはならぬ。となると、奇数でないといけないのであるが、この歌は「あずさ2号」となっている。
これが僕にはどうしても解せないのである。
8時ちょうどの、「あずさ2号」で、私は、私は、あなたから、旅立ちます。
確かに、ここを「あずさ1号」とか「あずさ3号」では曲に乗らない感じはする。では、単音節の「あずさ5号」ではどうか。それだと、曲には乗るが、「8時ちょうど」という朝早い列車にはならなくなる。思いを断ち切って旅立つには、朝靄をついて出て行く列車でなくてはならなかったのだ。その結果として作者に残された唯一の選択は「あずさ2号」であったのだろう。
こんなことを考えてみると、作詞というのも実に大変な仕事であると思う。
文学作品というものは、フィクションであっても、情景や場面あるいは登場人物などは事実に基づくものでなくてはいけないと、最近小説を書き始めたある人が言っていた。だからこそ、作家たちは、取材旅行を頻繁に行うのである。綿密な事実確認の上で初めて虚構が生きてくるのであろう。
何を馬鹿なことを、と思われるかも知れないが、論文でも、文学作品でも、なんであれ、人を感動させる仕事というのは、そのような多くの事実の蓄積と創造性から生まれてくるものであるということを自分で納得した次第。