「倚りかからず」

きのう/きょう/あした


2006/04/03(月)

もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なにや不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
(茨木のり子『倚りかからず』より)

また新しい季節がやってきた。
別れの季節を経て新しい出会いの季節である。
この時期、重いコートを脱ぎ捨て、なぜか心もさわやかな気分になれる。

上に掲げた詩は北岡先生の古稀記念パーティーの席で、藪田先生が読みあげた詩の一節である。
僕もこの詩が好きだ。
このように生きたいものである。
この詩集の最後にはまた「ある一行」というのもある。
「絶望の虚妄なること まさに希望に相同じい」をモティーフにした詩である。
「希望」も「絶望」も「うつろなることでは二つとも同じ、そんなものに足をとられず、淡々と生きて行け」と彼女はこれを読み解いている。
そうなのだ。「希望」を持ってもいいし、「絶望」したって構わない。要は自分の生き方で生きていけばいいのだ。彼女はそう言いたかったのだ。

「権威に盲従せず」「通説を鵜呑みにしないこと」そして、「淡々と生きること」
いずれも難しい、しんどい生き方ではあるが、それを心に刻んで生きたいと願っている。