アメリカンドリームとワーキングプア

きのう/きょう/あした


2006/12/15(金)

松坂の契約金は6年で61億とか。笑いが止まらないことだろう。
そして、「いつか自分も」「夢を持ち続ければいつかきっと」「努力しさえすれば」と第2の「アメリカン・ドリーム=松坂」を夢見る子供たち。
落ちこぼれは「頑張らない人だよ」「努力しない人だよ」と教える大人たち。
そんな人たちがますます増えることだろう。
でも、その一方では、「働けど、働けど、我が暮らし楽にならざり、そっと手を見る」という、いわゆる「ワーキングプア=苦労が報われない」が存在するのだ。
勝ち組と負け組。強いものこそ正義、強いものこそ最も努力した人。
この構図がこれから続くことになるのだろう。
まさにグローバリーぜーション=アメリカ化現象=競争原理の行き着く先がここなのだ。
このことは、政治体制とは恐らく関わりなく、世界的な状況である。 アメリカ、日本はもとより、中国でもしかりである。
では、負け組は一体どう生きればいいのか。
自分より弱いものにその攻撃の矛先が向けられるのだ。「いじめ」はその典型である。

こんな社会が「美しい国」であるはずがない。
そんな国を愛せるはずはない。

しかしながら、このような流れをおかしいと感じながら、声を上げる人はいない。
いなくはないのだが、その声はこの激しい流れにかき消されている。
本来、最も敏感であるべき若者が、その声をあげようとはしない。
むしろ、自分もその流れに遅れまいと必死となっている。

「虞や虞や、汝をいかんせん」
「虞や虞や、我をいかんせん」