旧友再会フォーエバーヤング(3)
2007/04/13(金)
大学に入るといきなり毎日、自治会の大会や、全学集会とか学長団交・・。
体育館に入りきれないくらいの学生が集まって夜中まで学長や学生部長を取り囲んで「大学立法に反対せよ」「産学共同路線粉砕」「沖縄返還反対」「安保自動延長阻止」・・と迫るのだ。
沖縄返還に何故反対するかと最初は疑問に思ったりもしたが、「本土並み返還」でなく「核付き、基地付き返還」が問題なのであり、それは政府が言うような「本土並み」ではなく、「本土の沖縄化」につながるからであった。
(今の大学はかつて私たちが異議を唱えた「産学共同路線」そのものである。それが今は「大学の本来のあり方」とさえ言われたりする。「実学」が尊重され「虚学」は無視される時代なのである。確かに、それも一理あるが、大学とは実はそういうものではないと思っている。「象牙の塔」は批判されるべきだが、一方では大学とはある意味で「孤高を保つべき」存在であり、「無駄な学問」をする場所であると今でも思っている。)
こうした状況の中で、マルクスやエンゲルスを読み始め、社会の仕組みや、さまざまな不条理に疑問を感じるようになり、そのような運動に入っていくのは極めて自然な成り行きであった。
もちろん、やろうと思っていた国語学の勉強や第2外国語として履修した中国語もかなり真剣に取り組んでいたし、書道部とオーケストラにも入って、そちらの活動も続けていた。しかし、何かの政治的課題が出てきたとき、のうのうとクラブ活動をしていたり、何食わぬ顔で授業に出ているのは我慢ができなかった。授業の始まる時、先生に「今日は、XXの日ですから休講にして欲しい」と願い出たりしたが、受け入れられず、一人で教室を出て行ったことも度々あった。
「あなたはいつもそうだったね」と妻はよく言っている。
私たちが提案した無期限ストが成立したときは正直驚いた。わずか4,5人の仲間で提案したのだが、それが学生大会で通ってしまったのだから。ただ、その頃、大学の自治会を押さえていたセクトは慌てたようで、スト突入後は彼らが主導権を持っていった。僕らは、そこで自主ゼミを開き、毎日、魯迅や毛沢東の原文を読んでいった。(この時の勉強は今も役に立っている)
さて、彼も外大に入ると同じような状況にあって、彼もそのような道に入っていった。ただ、僕とは「党派」が異なっていた。また、外大は学生の「育ちの筋」が違うともよく言っていた。彼が恋した女性は外交官の娘だった。田舎から出て行った彼が相手にされるはずもなかったのである。その頃の外大の中国関係の教員には、輿水優とか金丸邦三とか、中島嶺雄などがいたが、そういった先生とも彼は肌が合わなかったようである。つまりは「中国語屋」にはなれないということだった。