旧友再会フォーエバーヤング(4)

きのう/きょう/あした


2007/04/14(土)

学生時代は東京によく出かけていた。
ある時は「示威遊行」に、ある時は全国集会に、ある時は古本屋周りに・・。
当時、福井から夜の8時頃に出発する「越前」という夜行列車があって、いつもそれに乗って行った。朝の6時過ぎに上野駅に着くやつだ。
東京ではいつも彼やもう一人の高校時代のクラスメート(早稲田に行っていた)やその兄(東京教育大の中文の学生で、相原茂と同級だった。だから、僕はその頃から相原さんの名前は知っていたわけである)の下宿に泊めてもらっていた。そして、今の社会はどうだか、大学はどうだとか、「生きる」とはとか、朝まで麻雀をしながら話し合ったものだ。
ただ、彼の党派(今でもこの国で最もまともな政党だとは思っているが)の考えには私は全く共鳴できなかった。三浦つとむとか、梅本克己とか、いわゆる戦後主体性派たちを除名した党であり、スターリン主義そのものであったこともあるが、それにもまして、あの党派は何かにつけ「二者択一」を迫るし、何よりも「感性」がなかったからである。「自分の頭で考える」ものを切り捨てる党であったと言ってもよい。それを改めて確信したのは、ある時彼に吉田拓郎の「イメージの歌」と「こうき心」を聴かせた時だった。
僕が「この歌詞いいだろう?」と言うと、彼は即座に「言葉の羅列じゃないか。言葉遊びに過ぎない」と言い切ったのである。その時、「ああ、この党派はダメだな」と思ったものである。
それ以来、彼とはイデオロギーの話はしなくなった。お互いがいつも意識はしていたが、そのような話題は出さないように自制していたのだ。
そういえば、私の高校の同級生は、彼以外にも、防衛大に行った右翼もいるし、キッシンジャー訪日の時にビラを投げつけて逮捕された右翼の学生、僕の大学でもバリケードを挟んで僕と対峙したのはやはり同級生だったりして、クラス会などやったら大変だった。だから、もう何年もクラス会には行っていないが、面白いクラスだと今でも思っている。