いつまで沈黙を続けるのか

きのう/きょう/あした


2008/09/08(月)
 全国学力テストの結果およびその公表等をめぐって、大阪の橋下知事が「吠え」続けている。曰く、府の教育委員には「ビジョンがない」。曰く、市町村教委が府教委の命令に従わないなら、府教委なんかいらないから解散し、小中学校課には予算を渡さない。曰く、府下の教育委員会は「くそ教育委員会」etc.
  もちろん、どこかの議員がかつて私の「人が人を食う時代」という発言に対して「品格がない」と批判したように、それらの発言に対しても同じように「品格をない」と言うつもりはない。それよりも、府の教育委員を始めとして、府下の教育委員は、いつまで、このような発言(というより「雑言悪語」)に対し、かたくなに沈黙を守り、言われ続けるままにしているつもりなのか。言われっぱなしではないか。もし、このまま沈黙を守り続けるのなら、それこそ橋下知事の言う通り、教育委員なんていらないのだ。
  私はかつて「私の視点」(2007.5.15)で、教育委員会の根本は教育委員によるレイマンコントロールにあり、教育委員は委員会内部にありながら、一方では外部的要素を有し、そのことによって、任命者である首長からも、承認する議会からも、さらには文科省からも相対的に独立した機関であり得ること、また、今日の教育の様々な問題に対処できない最も大きな原因の一つは、教育委員会が本来の機能を果たしていないこと、すなわち、多くの教育委員会が上意下達的に文科省の意思伝達機関として、施策を学校に伝え管理するだけの機関になっており、教育委員はもの言わぬ名誉職として事務局の追認機関になっていること等を指摘したことがある。この考えは今も変わってはいない。そういう意味では、橋下知事が「教育委員にビジョンがない」と批判するのはあながち間違ってはいない。この橋下知事の「挑発」に今こそ教育委員は応えるべきなのだ。体を張ってでも「売られた喧嘩は買わねばならない」のだ。それをしないのなら、教育委員は存在の意義を失うし、座して死を待つのみである。
  吹田市では今、我々教育委員と事務局が一体となって「吹田の教育ビジョン」の作成に当たっている。吹田からのこの国の教育への提言である。橋下知事が提唱した「大阪学び舎」も、私は委員会で早くからその構想(吹田早蕨塾)を提案しており、その具体化に向けて現在進行中である。教育委員によるミニ講義や研究授業参観、あるいは教育委員会が主体となって、全市の教員が一堂に会した教育研究大会を開催したりしている。小中一貫教育や橋下知事も見学に訪れた35人学級も成果を収めている。このような実態を橋下知事は知るべきである。
  地方分権が叫ばれる今日、国から都道府県が相対的に独立して行政を行うことが求められているように、教育委員会においても同様であるべきである。都道府県の教育委員会が中央の官庁から相対的に独立しているように、市町村の教育委員会も都道府県の教育委員会とは同等の立場で相対的な独立機関でなくてはならない。私は教育委員会の再生を考える場合、教育委員会制度発足当初にはあった予算案、条例案の送付権までも論議すべきであると考えている。
  さて、今回の学力テスト結果の公開に知事は何故そこまでこだわるのか。私にはそれが全く理解できないのである。そのことによって教育の何が解決し、何が変わるというのか。学力低下の一因に教師の質の低下があることは否めない事実かも知れない。しかしながら、そのことと結果の公表とはどう関わってくるのか。危機意識を認識させるというなら、すでに大阪府全体の結果で十分である。うちの市は全国平均を上回っていた、あるいは下回っていたと市民に一喜一憂させるためなのか。いずれにせよ、公表によって学力低下を改善することには直接的には結びつかないものであり、本質は何も変わらないはずである。むしろ、越境入学等の弊害が出る恐れすらある。
  そもそも知事の教育に対するスタンスは「強い者が正義」「できる子がいい子」、つまり「学力至上主義」「競争原理」の行き着く先そのものであることは、これまでの施策や発言で明らかなことである。
  知事が任命しようとしている新しい教育委員候補を見れば、そのことはすぐに分かることである。できる子、経済的に恵まれた子(学費100万の小学校に通える子や課外授業に金を払える子)こそが教育で最優先すべき対象であるという立場に他ならない。
  大阪府の学力が低い原因は、実は、教育の質や教師の力量不足だけではないはずである。それは経済格差、家庭環境である。あるいはすでに存在しないとされる差別と関わる問題でもある。
  かつての夜間高校の廃止を巡っての、「お荷物」などという府教育委員の一連の発言を知る者としては、橋下知事が現在の府教育委員は「ビジョン」がなく、「何も考えていない」と批判されても致し方ない部分があると私は思っているし、彼らが今の橋下知事とそれほど違う教育観を持っているとは思ってはいない。しかしながら、ここ数日の知事の発言はやはり「異常」「常軌を逸している」としか思えないものである。「人気」を笠に、言いたい放題である。橋下劇場の幕開けである。「声が大きい者が正義」という今のこの国の風潮を危惧するものである。